「これは貴様いったいどういうことだ!」
父の怒号が食卓を揺らす。テーブル端のグラスが落下して割れる。父は怒りに身を任せて続ける。
「貴様は最低最悪の愚息だよ、まったく。いったいどうしてそんな風にそだってしまったというんだね。運動も、勉強も出来ないで。昼間何をしているかと思ったら、暗い部屋でつまらん物を書いているだけ。無駄だとわからんのか!」心臓が締め付けられるように痛い。口から何かが漏れ出る。
「あ、いや、えっと」
「なにが「あ、いや、えっと」だ。男ならきちんと自分の口で意見を言えんのかね。それこそ、何だ。物書きの端くれになろうなどという無謀を抱えているのなら、反論の1つをしてみんか!」
身体が硬直して動かない。声を出そうとしてもそれは音とならず、部屋の壁に吸い込まれて行った。
「はぁ、まあいい。そんなことより、だ。まあ、幾度となく叱ってきたお前のことだ、何度叱られてもわからんというのは身に染みてわかっておる。私が今回怒っているのは、あの女の事だよ。わかるかね?」
「エミリーの…」
「ああ、そうだ。定職にもつかずに女遊びなんて情けない!そのくせ婚約だと?笑わせるな!誰が式の面倒を見るんだ?誰が生活の面倒を見るというのだ?馬鹿者が!」
「そ、それは」
「で、だ。お前たちの婚約は私が認めない。相手方にも通達を出しておいた。もう、あの女の事は忘れろ。それか、定職について自立しろ。いいな!」
「は、、はい」
「ほう、「はい」と言ったな。その言葉、飲み込むなよ。」
彼はカチャカチャと音を立てながら食事をする。グラスを手に取り口に運ぶ。
「食事をする時は不要な音を立てるな!」
あまりの大きな怒号に驚いてグラスを落としてしまった。
「って事があってさ」
「はは、でも、親父さんの言う事も最もだと思うぜ。俺はお前の書く小説は最高だと思うけどさ、やっぱちょっと難解だし、なによりお前は途中で投げ出しちゃうじゃんか」
親友は爽やかに答える。
「でもさ、今すぐにでも結婚して新しい生活を始めようと思っていた矢先にコレだよ?嫌になっちゃうよな。エミリーのためにちゃんと働いて、ちゃんと自立しようと思ってたのにさ」
「あはは、ほんとかよ」
夕日は2人の男の影を伸ばす。
「まあさ、これから物書きはできなくなっちゃうと思うからさ、いざと言う時は今までの原稿をどうにかしてくれよ?あれがずっとこの世に残り続けると思うと恥ずかしくてたまらないよ」
「ああ、お前との約束は必ず守るよ。俺がお前のこと裏切ったこと、ないだろ?」
「ああ、お前は僕の最高の親友だよ」
「おうよ」
影はいずれ交わり合い、後に、離れる。夕日が沈み切ろうとしていた。
家に帰ると、大きな門が締まりきっていた。ああ、親父は今日も怒ってるんだなと全力で門を押す。額に汗が滲む。将来、自分の身体が今より衰えてこの門を開けられなくなったらどうすれば良いだろう。まあ、その時はあいつの家に止めてもらったらいいか。いや、でもそれで親父の逆鱗に触れてしまったらあいつの家にはもう行けなくなっちゃうかもな。野宿か。などと思考を巡らせていると、目の前の大きな壁に気が付かなかった。
「帰宅したら、挨拶をせんか!馬鹿者!」
「あ、ああ、父さん、ただいま」
「まったく、情けない。それでも本当に私の息子か?ただいまの4文字すら堂々と言えんとは。他の兄弟ですら私ほどではないとはいえ、成功していると言うのにお前と来たら」
「ごめん、父さん。」
父の説教を背に自室へと戻る。自室でひたすらにペンを走らせる。どうして、どうして僕の小説は評価されないのだろう。難解?簡単に手に入る感動になんの価値があるんだ。思考を懸命に巡らせて生まれたたった1つの解釈にこそ価値があるんじゃないのか。
まあ、いいや。そもそも家の生まれじゃなきゃみんな手に取ってすらくれないからな。そんでもって名家の子の書く小説は難しいなあなどと口を揃えて言うんだ。誰も僕の内面など見ちゃいない。誰も僕の書く小説など読んじゃいない。あいつと、エミリーを除いて。はあ、と大きなため息をついた。続いて、「エミリー…」と小さく呟いた。小説を書いているとすっかりと時間が経ち、深夜になってしまっていた。屋敷はすっかりと寝静まり、あちらこちらから沈黙が聞こえてくる。が、そこにある音が紛れていた。隣の、父さんの部屋からだ。軋む音。なにかがぶつかる音。嬌声。父さんは今日も、金で買った女を楽しんでいるらしい。人の女遊びには口出ししておいて、誰にも自分の女遊びには口出しをさせない。まあ確かに僕にエミリーと婚約する資格はなかったのかもしれないけどさ。これ以上聞いていると気がおかしくなりそうだったから耳を塞いだ。最後に聞こえた女の声は若々しく、どこか聞き馴染みのある声な気がした。
朝日は情けない男の顔を鮮明に照らしている。太陽にすら馬鹿にされている気分だ。仕方がないから朝食を済ませ、親友の元へと向かう。いつもの広場に向かうと、親友と、あれは、エミリーが立っていた。彼女も彼に相談しているのだろう。彼女との絆を再確認して、ひとまずはその場を去った。相談と呼ぶにはあまりにも談笑していた気がするが、話すのが上手い彼の事だ、真剣な話題でもリラックスして会話してしまうのだろう。昼過ぎ再び訪れると、二人とも何処かへ消えてしまっていた。どうしたんだろう、まあ、待っていればいずれ来るだろう。と、その場で彼らを待っていた。通りすがる人の今日も名家のお坊ちゃんはお元気そうでという視線が少し恥ずかしかった。夕日が沈む頃になっても、二人は現れなかった。仕方がない、彼の家に寄ってみて帰ろうと思い、その場を去る。彼に家に着くと丁度エミリーと彼が出てきた。彼はこちらに気づき手を振る。
「エミリーと相談してたんだけどさ、なんというか」
彼はきまりが悪そうに言葉をしぶる
「なんだよ、なんというか」って
「親父さんに婚約を反対されるのも仕方がないかなって」
まさか彼からそんな言葉が飛び出るとは思ってもなく心底驚いてしまった
「え、なんで」
「だからさ、やっぱりちゃんと働いていい人を見つけるべきじゃないのかな?新しい場所で」
「ああ、そうか」
私はかつての親友の言葉を背にその場を立ち去った。
後日、××川にて水死体が見つかる。彼はどうやら名家の青年らしく、葬式は盛大に執り行われた。彼は死後、彼の親友によって彼の小説が発表された。軽妙なオチと難解な本文とのアンバランスな構成により大衆は彼の作品を歓迎した。彼の作品は新たなジャンルへと昇華されたのだ。そう、彼の名は𓏸𓏸が誇る稀代の小説家××××である。
#最悪
6/6/2023, 12:00:50 PM