明日世界が終わるなら。
そんなことを考えた夜は数知れずあったよな、と思う。
人の言う「明日を死なないように生きてる」は
私みたいな人間からしたら理解の難しい世界で。
「今日死んでもいいように生きてる」私は
きっと彼らには理解のし難い存在なんだと思う。
マイノリティは、いつだって損だ。
普通や、当たり前のレッテルが必ずと言える程貼られたこの世界で
普通では無い価値観と思考を持つ私は
それこそ当たり前に世間に受け入れては貰えない。
当たり前のベクトルが違うのは、単に私が悪いのか?
それとも、受け入れる能力の少ない人間の集まるこの世界が悪いのか?
人はいつだって、自分とは違う人間を
切り捨てながら生きていく生き物だと思う。
それは自己防衛であり。自分の世界を守るには手っ取り早い方法だと誰しもが知っている。
悪いことでは無いよな。私だって自分を守るのに必死なのだから。
そこに、人の心が関係するかしないかの違いでしかない。
ただ、私はそれがどうしても、生きていくには居心地が悪くて仕方ない。
感受性の高い人間は、決断や選択に必ず「相手の感情」が存在する。
それを生活の中の当たり前として生きているのだから、別に褒めて欲しい訳でも、敬って欲しい訳でもない。
ただ、自分の中で呼吸をすると同じように、相手の感情を見抜いて寄り添う力は、相手にも必ず存在すると言った固定概念は間違いなくあると思う。
だからこそ失望する。
相手がそうではなかった時。自分の感情が置き去りになっていることに気付いた時。
「あぁ。結局、そういうものなんだな」と
落とし込まざるを得ない自分自身にも腹が立った。
人間関係というものから逃げることはできないのだから。
人と人が生きていく為に。お互いが優しい気持ちで寄り添い合えたらいいのにね。
言葉を交わして、気持ちを通して相手を知る。
あなたの言う当たり前を受け入れてみせるよ。
だから、私の言う当たり前を、貴方は否定しないでいてよ。
そんなことをボヤきながら私は
今日も世界が終わる頃のことを考えている。
5/6/2026, 4:40:26 PM