美佐野

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(二次創作)(耳を澄ますと)



 耳を澄ますと、規則正しい寝息が聞こえてくる。清潔なベッド、小さな机に飾られた可愛らしい花、風に揺れるカーテンは外からの光を和らげ、室内に確かな安らぎをもたらす。4人部屋が都合よく空いていたのも幸運だった。
「メアリィ」
 眠る少女の名を呼んで、アレクスは一息ついた。
 エレメンタルの灯台に火を灯す旅の途中、立ち寄ったトレビの街は、コロッセオ開催に沸き立っていた。共に旅をしているサテュロスたちは、既にゴンドワナ大陸に向かっている。アレクスも当然付いていく予定だったが、メナーディが仕留め損ねた魔物の一撃を凌いだ際に食らった毒が、身体から抜けきらない。もう一日、休を休めようと単身この街に戻ってきたところで、ちょっとした騒ぎに出くわした。
 どうやら、誰か往来で急に倒れたらしい。本来なら気にも留めない事件だが、たまたま、その倒れたのがアレクスの同郷の少女メアリィであった。あわあわと焦る住民の間をすり抜け、意識を失ったメアリィを抱き上げる。どこか彼女を休ませるところを、と群衆に尋ね、今の宿屋を紹介された。団体の止まり客が急遽旅立ったらしく、タイミングがよかった。メアリィには他に連れが三人おり、リーダー格の少年ロビンの名をあげて、見かけたらここにメアリィがいると伝えてもらうことになっている。
「というか、何故こんな大きな街でバラバラに行動してるんですか……」
 お陰様で、つい手を差し伸べてしまった。よりによってメアリィ相手に、と息を吐く。お人よしは自分の持ち味ではなく、むしろガルシアやジャスミン達の役目ではあるが、いずれにせよ関わってしまった以上今更である。と、部屋の扉が遠慮がちに叩かれる。ロビンが到着したのかもしれないと腰を浮かした瞬間、扉が開き、入ってきたのはこの宿の女将だった。手に、すりおろした林檎を持っている。
「その子、熱があるんだろう。もし目が覚めたら、食べさせてやってくれないかい?」
 擦りたてのようで、まだ色も変わっていない。少量の塩水を混ぜてあるので、しばらくはこのままのはずだと女将が教えてくれた。アレクスはそれをありがたく受け取る。メアリィもそろそろ目を覚ますだろうか。
 トレビに戻ってきて、そこここで耳にしたのはカラゴル海での航海の話だ。アレクスたちも、話題になっている便の一つ前に乗っていたが、たまに取るに足らない雑魚魔物が襲ってくる以外は問題はなかった。他方、メアリィたちも乗っていたらしいその便は、海の怪物クラーケンが直々に襲い掛かったり、度重なる魔物の襲撃でオール漕ぎたちが犠牲になったり、そのせいで素人がオール漕ぎを代わり進路が狂ったり、散々だったらしい。
「それは、さぞ疲れたでしょうね」
 眠るメアリィにそっと話しかける。他に、乗り合わせた年若い少年少女4人組の戦士が、不思議な力でクラーケンを倒したり、立ち寄った島の安全確認をしてくれたりと活躍したことも聞いている。間違いなく、それはロビンたちだった。
 メアリィが小さく身じろぎをした。姿を消すべきとは思うが、見知らぬ場所で一人では心細いだろう。なに、灯台でのことを訊かれたら姿を眩ませようと決めたところで、メアリィの目が開いた。状況が呑み込めないのか、視線があちこちに彷徨っているようだ。何も言えないでいる彼女に手を翳し、プライのエナジーを発動する。見慣れた蒼の光が彼女の身体に吸い込まれていった。
「ア、レクス……?」
「あなたは、倒れたんですよ、メアリィ。街中でいきなり」
 まだどこかきょとんとしている彼女の前髪を、そっと撫でる。そういえば昔、師と暮らしていた頃、幼いメアリィに対して同じことをよくしていた。本当は、彼女にこんなところで会うつもりはなかったのだが、倒れた彼女を拾い上げてしまったのも自分だ。視界に、先ほど女将から貰った林檎が見える。アレクスはメアリィの身体をゆっくりと起こすと、手ずから林檎を食べさせてやった。これも、昔、何度かやったことだ。幼子はちょっとしたことで熱を出す。置いてきた日々が、懐かしい。
「…………」
 メアリィが、こちらをじっと見ている。その目は僅かに潤んでいる。感情が泣かせようとしているのではなく、単に熱が残っているのだろうと判断した。彼女の額に触れれば、やはり熱を持っている。癒しの力はメアリィに比べればどうしても劣るとアレクスは自覚していた。水のエナジーの総量は、こちらの方が上ではあるが、何事にも向き不向きはある。追加でプライを唱えてから、彼女を再びベッドに押し倒す。
「アレ、クス、……」
 何度も、名前を呼ばれた。マーキュリー灯台でのことを訊きたいのかもしれない。アレクスは何も聞かなかったことにして、彼女の手を握ってやった。ベッドに腰掛けると、ゆっくりと、優しく、安心させるように、語り掛ける。もう少し眠るようにと。少なくともロビンたちが来るまでは傍にいてやるからと。
(どのみち、この街には休養のつもりで戻ったのだ)
 サテュロスたちは今頃ゴンドワナ大陸に着いただろうか。不思議な竜巻が発生したというスハーラ砂漠には挑んだだろうか。あの地は、風のエナジーをぶつけて竜巻を打ち消すか、水のエナジーで砂を洗い流して元凶の魔物をあぶりだすかしか突破する方法はない。それに、気付いた頃だろうか。
 メアリィから、再び規則正しい寝息が聞こえ始める。それを確認してからアレクスも目を閉じた。繋いだ手から熱が伝わる。取り敢えず状況が落ち着くと、それまでなりを潜めていた気分の悪さがぶり返してきた。原因はメアリィと異なり発熱でも疲労でもないが、明日までゆっくり時間を掛けて身体を癒す必要があるのはアレクスも同じだった。
 どれぐらい経っただろうか。部屋の扉がノックされ、アレクスは目を開く。食器を下げに来た女将か、もしくは伝言を受け取ったロビンのどちらかだろう。どうぞ、と声を掛けると、扉が開く。果たして、姿を現したのは、金髪で背の低い杖を持った少年戦士だった。
「おや、あなたはロビンの……」
「イワンです」
 より効率的に宿探しをするため、ロビンもジェラルドも別々に行動しており、最初に伝言を受け取ってここに来たのはイワンだけだったようだ。なるほどメアリィが一人だったのはそういう理由か。
「あなたは、アレクスでしたね」
「覚えていただき光栄ですよ」
 メアリィはまだ眠っているが、仲間が来たのなら自分の出番は終わりだ。メアリィにも、ロビンたちが来るまでは、と言った。アレクスは立ち上がる、瞬間、少しだけ身体がふらついた。イワンが、じっとこちらを見ている。
「私はこれで」
 何も無かったかのように部屋の扉まで歩いたところで、イワンに呼び止められた。
「待ってください」
 せっかくメアリィをやり過ごしたのに、とアレクスは思う。何故灯台を灯したのかは話すつもりはない。というより、エレメンタルの灯台を灯すこと自体が目的で、他に話すべき事柄はない。さてイワンは、持っていた荷物を探り、ややあって小さな紙を、アレクスに差し出した。乾いた薬草か何かが挟まっている。
「昔、ハメット様から貰った薬です。たいていの魔物の毒に、よく効くそうです」
「……?」
「目立った外傷はプライで治しているようですが、どこか動くのがきつそうに見えたので……でも動いてはいるので、麻痺ではなく毒であると考えました」
「…………」
 なるほど風のエナジストならではの慧眼、もしくは観察力ということか。エナジーを発動した気配は感じなかったから、リードは使っていないはず。その鋭さに興味はあるが、尋ねるのはまた別の機会でよい。それに、彼がいるならこの後も、ロビンたちはサテュロスたちを追ってこれるだろう。
(優れた戦闘力を持つジェラルド、状況の観察と把握の力に長けたイワン、癒しの力を持つメアリィ、そして――彼らを率いるロビン)
 メアリィがイミル村を出たのは意外だったが、彼らとならそう危険な目には遭うまい。あるいは旅の果てに、サテュロスとメナーディを圧倒する日も来るかもしれない。何より、
(彼らと一緒であれば、メアリィも大丈夫でしょう)
 アレクスはイワンから薬を受け取ると、今度こそ身体を休めるため、その場を後にした。

5/5/2024, 12:03:14 PM