一輪の花
「私、旦那に浮気されてたのよ。」
いつもはあっけらかんとした三十年来の友人が、珍しく眉根に皺を寄せてそう言った。
「前から何となくおかしいとは思ってたの。子どもの進学でお金が掛かるこの時期に、いきなり何十年も帰ってなかった実家に帰って、ついでに同窓会にも参加するなんて言うもんだから。」
「私やめてって何度も言ったのよ。往復の飛行機代だけで七万かかるんだから。七万よ!でも、結局強引にチケット取って行ったのよ。」
今にも頭のてっぺんから蒸気を噴き出しそうな勢いで、彼女はそう続けた。
「でも、浮気したって何でわかるの?旦那さんの様子がおかしいっていうのは前から聞いてたけど。」
「それよそれ。手紙が出てきたの、旦那の整理ダンスから。女からの手紙よ、会えて嬉しかった、次は私が会いに行くね、今すぐにでも会いたい、愛してるって。」
「えーーーっ!」
私は、真面目で大人しい彼女の夫とはあまりにもかけ離れたイメージに心底驚いてしまった。
「びっくりでしょ?私だって最初は〇〇と同じ反応だったわよ。もう心臓はバクバクで変な汗は出てくるし、めまいはするしで大変だったんだから。」
「タンスの中、探したの?」
「……探した。旦那には悪いと思ったけど、ここ数年、明らかに様子がおかしかったし、何かあるなと思ってたから。勘よ、女の勘!」
「手紙が出てきてショックだった?」
私は彼女の本心が知りたくてそう聞いてみた。
場合によっては、このあと地元のファミレスで泣いて喚いての修羅場が繰り広げられないとも限らないからだ。
「もちろん最初はショックだったけど、それが見つかって以降、今までの旦那の不機嫌さとか、家族をないがしろにする感じとか、私だけならまだしも、子どもへの無関心さも含めて、全て辻褄が合うのよ。そりゃもう、面白いくらいに。」
おそらく、彼女は難解なパズルのピースを一つ一つはめ込んでいくが如く、この三年間、悩み苦しみながらこの作業を続けてきたのだろう。
半ば呆れ顔で、半ば晴れ晴れとした顔でそう語った。
どうやら、彼女はもうこのことを乗り越えかけている。
私はそう感じた。
「恋だったのよ。うちの旦那、その元同級生の女に恋してたの、三年もの間。」
彼女はポツリと言った。
「それに私もいけなかったのよ。旦那のこと大事にしてなかったから。ほら、そういうのって近くにいたら自然と伝わっちゃうものじゃない。」
彼女にしては珍しく、しおらしい顔でそう言うと俯いた。
「ねぇ、一輪の花の話、覚えてる?」
私は彼女にそう尋ねてみた。
これは、もうだいぶ前に彼女から聞いた話だ。
彼女の旦那さんは、二人の記念日には毎回必ずちょっとしたプレゼントと一輪の花をくれる人で、私がそれをすごく羨ましがったのだ。
その時、彼女は「花なんかもらったってどうせ枯れちゃうんだし、お金の無駄じゃない?」と言ったことが、ずっと私の心に棘のように引っかかっていたのだ。
「覚えてるよ。結局さ、旦那は一輪の花をちゃんと喜んでみせる女のところへ行ったってことだよね。私、すごく無神経だったよ。」
彼女はそう言って、哀しげに笑った。
その後、彼女の夫は普段通りの大人しく、真面目な夫に戻った。
彼女も別段、旦那の浮気を責めるでもたしなめるでもなく、何も知らないふりをして過ごしている。
恋のリミットと言われる三年が過ぎ、彼女の家庭には無事に日常が戻ってきたらしい。
もちろん証拠の手紙はしっかりと画像にして、大切に保存しているとのことだ。
お題
一輪の花
2/25/2025, 5:30:37 AM