翌朝。
目が覚めた睦月《むつき》は、自身が燈里《あかり》たちの部屋にいることに一瞬驚きをみせたものの、すぐに笑顔で朝の挨拶をした。
「おはよう、燈里お姉さん。冬玄《かずとら》おじさん。夢の中ではありがとうね」
「う、うん。おはよう……大丈夫、なの?」
「のんきな奴だな。もう少しで、連れていかれる所だったんだろうが」
取り乱す様子のない睦月に、冬玄は僅かに眉を顰める。だが睦月は冬玄の言葉に不思議そうに首を傾げ、何度か目を瞬いた後、あぁ、と納得の声を上げた。
「だって、前に夢で見たもん。お姉さんが引き留めてくれる所……でも、おかしいなぁ?」
「何がおかしいの?」
「ヒガタはね、小正月の晩に山から下りてくるんだよ。いくら夢の中だからっていったって、小正月前に来るはずはないんだけど」
眉を寄せ、睦月は考え込む。燈里もそんな睦月を見ながら、違和感に眉を寄せた。
昨日初めて出会った時から、睦月はヒガタに似た何かをヒガタだと呼んでいる。久子《ひさこ》のようにモドキとは、一度も口にしてはいなかった。
「睦月ちゃん」
「なぁに?お姉さん」
無邪気な目が燈里を見つめる。その真っすぐさに燈里は小さく息を呑みながらも視線を逸らさず、浮かぶ疑問を問いかけた。
「睦月ちゃんは久子さんが言うモドキを、本物のヒガタだって思っているの?」
きょとん、と睦月は目を瞬いた。問われた内容を理解するように視線が宙を彷徨い、首を傾げる。
「ヒガタはヒガタだよ?本物とか違うとか、そういうのじゃなくて、ヒガタなんだよ」
答えにならない答えに、燈里は困惑して眉を寄せる。話を聞いていた冬玄がさらに問いかけようと口を開くが、言葉になる前に障子戸が静かに開かれた。
「話の途中で悪いんだけど、朝食できたよ。続きは食事が終わってからにしようか」
翁の面を片手に楓《かえで》が声をかける。
その言葉に、自身が朝食の準備を忘れていたに気づいたらしい。声にならない悲鳴を上げながら、慌てて部屋を出ていく睦月の背を見ながら、楓は小さく肩を竦めた。
「ありがとう、楓」
「どういたしまして。でもあの子、混乱するんじゃないかな。客人に準備をさせたと思ったら、自分が準備をしていたって言われるんだろうからね」
手の中の面を弄びながら、楓は苦笑する。戯れに面をつけると、その姿が揺らぎ、面を除く全身が影に解けていく。ぐにゃりと歪んだ影は誰かの形を取り、再び小さな揺らぎの後、その姿は楓ではなく睦月のものとなっていた。
「起きたのなら、布団を畳まないとね」
睦月の姿をとった楓は慣れた手つきで布団を畳み、ひとつ遅れて燈里もまた自身の布団を畳んだ。
畳んだ布団を部屋の隅に寄せ、楓は面を外して元の姿に戻る。あまりの流れ作業に、見ていることしかできなかった冬玄を横目に燈里の手を取り歩き出した。
「さぁ、まずはしっかりご飯を食べて、聞き込みはそれからだよ。必要なら、山の入口にも行ってみよう」
「うん。そうだね……小正月までに調べておかないと」
楓の言葉に頷き、燈里は僅かに表情を強張らせた。
小正月。改めて残された時間を思い返し、繋いだ手に力が籠る。
「そんなに構えるな。そんなんだと、見えるものも見えなくなるぞ」
燈里の様子に気づいた冬玄が、安心させるように笑い頭を撫でる。大丈夫だと告げられて、燈里の表情が僅かに綻んだ。
「うん。ありがとう、冬玄」
微笑んで背後にいる冬玄に軽く凭れれば、楓は苦笑して燈里と手を離した。少し先を歩けば、冬玄が燈里の横に並び手を繋ぐ。
冬玄と楓の優しさに、燈里の中の不安が消えていく。小さく吐息を溢し、軽くなった足取りで居間へと向かった。
「睦月ちゃん」
朝食後。
片付けを終えた睦月が玄関先で雪かきをしているのを見つけ、燈里は声をかけた。
「なぁに?」
振り向いた睦月の目が、燈里の隣にいる楓に向けられる。途端に眉を下げ、深く頭を下げた。
「楓お姉ちゃん、今朝はごめんなさい。それとわたしの代わりに朝ごはんの準備をしてくれてありがとう」
「どういたしまして。ならそのお礼代わりに色々教えてくれないかな」
「うん、いいよ。わたしが知ってる村のこととか、夢のこととか、何でも教えてあげる!」
笑顔で頷く睦月に、楓も笑みを浮かべながら問いかけた。
「その夢のことだけど、どこまで本当なのかな」
穏やかな口調だが、その視線はどこか鋭い。燈里と夢を共有したとはいえ、それを頭から信じるに足る情報を有してはいなかった。
楓の問いに、睦月は首を傾げる。眉を寄せ考えるように視線を彷徨わせながら、ゆっくりと口を開いた。
「たぶんね、ヒガタに関することは本当なんだと思うよ。うまく言えないんだけど、他の夢とは違うもの。音とか匂いとかがね、強いっていうか、はっきりしてるっていうか……そんな感じ」
「君はヒガタと近いから夢を見るのかもしれないね。巫女かなんかの血筋なのかな」
「巫女?違うよ!」
首を振って、睦月は笑う。くすくす声を上げ、こっちと手招きながら歩き出す。
「わたしが夢を見るのは、きっとご先祖様がすごい人だったからだよ」
そう言って睦月は十字路まで来ると、道の脇にある小さな祠を指さした。
燈里が中を覗くと、中には地蔵菩薩の石像が祀られていた。
「わたしの家は、元々石工をしていたんだって。それでね、ご先祖様にすごいご利益を持った仏像とか作れる人がいたんだってさ」
「確かに……これはすごいな」
目を細め、冬玄が感嘆の息を漏らす。
静かに佇む地蔵は、長くこの村を守ってきたのだろう。冬の空気よりも澄んだ気配に、冬玄は無意識に手を合わせた。同じように燈里と楓も手を合わせる。
「この地蔵様はね、ご先祖様が二十歳の時に作ったんだって。二十歳になったその時に、本物が作れるようになって、村にご利益を与えてくれたんだってばあちゃんが言ってたよ」
「すごい人だったんだね」
「うん!だからね、本物の仏様を作れるご先祖様の力が、ヒガタのことを夢に見せてくれてるんじゃないかな」
誇らしげに睦月は胸を張る。その頭を撫でながら、燈里は冬玄と目を合わせ頷いた。
睦月の見る夢は情報として、信頼できる。燈里は睦月の肩に手を置き、目を合わせて問いかけた。
「睦月ちゃんの夢のこと、もう少し詳しく教えてくれないかな。ヒガタについて知りたいの」
「分かった!あ、でも、ヒガタのことなら浜吉《はまよし》のおじちゃんとこに行った方がいいかも。ヒガタの祭りを始めたのはおじちゃんだって、前にばあちゃんが言ってた」
「浜吉?」
聞き覚えのある単語に、燈里は眉を寄せる。楓も眉を寄せ、あぁ、と思いついたように声を上げた。
「楓?」
「手紙に書いてあった娘だよ。一番最初にヒガタについて行った娘がそうだったはずだ」
言いながらも、楓は眉を寄せたままだ。
ヒガタという来訪神の風習を持ち込んだ浜吉。泣く子を攫うヒガタに、泣かないからとついて行った娘。
削がれたからという言葉。
疑問が渦を巻き、徒に不安を掻き立てる。
「俺が話を聞きに行く。燈里は楓と夢の話を聞いておけ」
「分かった……気を付けなよ。何が起こってもおかしくない状態になってきたからね」
楓はヒガタがいる山を見上げ、守るように燈里と手を繋いだ。
20260110 『20歳』
1/11/2026, 9:51:30 AM