蓼 つづみ

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愛を叫ぶ。
このお題を聞いたとき、 私は少し違和感を覚えた。

本当に誰かを愛している時、 人は叫んでいる暇なんてないと思うからだ。

昨日、私は一羽の雀の雛を保護した。
まだ羽も揃わない、 ほとんど裸のような雛だった。

一歩間違えば、 簡単に死んでしまうほど小さい。

私はその夜、 ろくに眠れなかった。
おかげで、欠かしたことのなかった執筆も、一日止まった。 「モンシロチョウ」をテーマにした文章は、 下書きまで済んでいたのに。

毛も生え揃わない雛の世話などしたことがない。
保温はこれで合っているのか。 保湿は。 呼吸は。 餌の硬さは。 鳴いている理由は。

そのうを見ながら、 十五分から三十分おきに餌を与える。
ささみのペースト。それから、茹でた卵の白身をすり潰し、 小松菜の汁と合わせて濾し、 砂糖を加えて練ったものを、 人肌まで温めて与える。

手探りのまま時間だけが過ぎていき、 変な脂汗ばかりかいた。
雛は、懸命に口を開けていた。
まだ「鳴く」ことすら不器用なはずなのに、 あの小さな喉は、 生きることだけを諦めていなかった。
放っておけなかった。

そんなことをしても、 結局はエゴなのにな、と思う。
助かってほしいというより、 目の前で消えていく命を、 自分が見たくなかっただけかもしれない。
それでも、 あの口の開き方を見てしまった以上、 私はもう、 見なかったことにはできなかった。

翌日、近所の自然観察舎へ連れて行くと、 「本気で助けたいなら、野鳥保護舎へ」 と言われた。
数駅隣のNPOへ連絡すると、 「今すぐ連れてきてください」 と返ってきた。

ペットボトルを湯たんぽにして温めた箱を抱えながら向かう道中、 私はずっと、 その小さな鳴き声を聴いていた。

鳥の巣など見当たらない道端で、 ぽつんと見つけた雛だったが、 職員の人たちは、 電柱の穴を巣にしていたのだろうと言った。
そんな場所にも、 命は営まれているらしい。

幸い、大きな怪我や病気は見当たらなかった。 ただ、頭に小さな傷がひとつあった。
おそらく、 ついばまれて落とされたのだろう、と。

羽根が生え始めるぐらいにもなれば、親鳥は落とされた雛の鳴き声にも気づき、地上まで餌を与えに来るが、この丸裸の未熟者では見殺しにされる可能性が高いという。

自然は時々、 残酷なくらい静かだ。
けれど、その静けさの中で、 何人もの人が、 この小さな雀を繋ごうとしていた。

拾い上げる手。 診る目。 保温する人。 受け入れる場所。
愛とは、もしかすると、 こういうものだろうか…。

大声で叫ぶことではなく、 消えそうな体温を前に、 「まだ生きろ」と、 無言で差し出される手。

ひとまず今、 やっと落ち着ける場所へ預けることができて、 私は胸を撫で下ろしている。

勝手に自然に介入してしまって申し訳ない気持ちもある。

けれど、あれから耳には、ずっと雛の鳴き声が残っている。

静かな部屋にいても、ときどき聞こえた気がしてしまう。

私には結局、あの声が、この世でいちばん愛を欲している叫び声に聞こえた。


題 愛を叫ぶ。
――――――――――――――――――――――――――

モンシロチョウって、
優雅というより、
常に微調整している飛び方をするだろう。

あの小さな羽一枚は、少し破れるだけで、
途端に生きる軌道を失ってしまう。

だから、風を受け流し、
ぶつからず、
落ち切らず、
それでも前へ行く。

綺麗に舞っているように見えて、
あれは、壊れないための飛び方なんだ。

きっと、
「壊れやすいものは、軽やかに飛ぶしかない」
という、生き物の切実な形なのだと思う。

色も真っ白ではない。
陽の下では少し黄ばんで見える。
曇天では灰を含み、
夕方には薄い橙を抱き込みながら飛んでいる。

花の上をふわふわ漂う姿だけ見れば、
まるで“軽さ”そのものみたいに見える。
柔らかく、現実感すら薄い。

けれど本当は、
光を受け続けた結果、
ああいう色に映っているだけなのだろう。

自由気ままに場所を選ばず飛んでいるようでいて、
実際は、同じ空中の軌道を旋回している。

まるで、
空気の中に細い川が流れていて、
それを知っているみたいに。

蝶道――。
蝶が繰り返し通る、
空中の“見えない道”。

人間には見えないのに、
蝶たちはなぜか同じ場所を辿る。

庭の隅。
塀の上。
陽の当たり方。
風の抜ける高さ。

そして、その道の先には、たいていキャベツがある。
青臭く、土の匂いのする葉。

花だけでは終わらない。
卵を産み、葉を齧り、青虫になる。

あの白い軽やかさの正体は、
幻想ではなく、
必死に生き延びようとする“生”そのものだ。

ふらふらしているのは、
むしろ、それを追う人間のほうだろう。

綺麗だから、では説明が足りない。
なぜ追っているのか、
自分でも言い切れない。
捕まえたところで、
どうしたいのかも曖昧なのに、
それでも視線だけが離れない。

合理性がない。
生存に必要なわけでもないのに、
ふらふらと足が向く。

視界に白いものが横切った瞬間、
会話の途中でも、
考え事の途中でも、
意識が持っていかれる。

だから、恋をすることは、蝶を追うことに酷似している。

恋は、欲望というより、
もっと“反射”に近い。

意味より先に、
身体や意識が動いてしまう。

そして厄介なのは、
捕まえた瞬間に、
熱が冷める場合すらあることだ。
欲しかったのが蝶そのものなのか、
追っている時間なのか、
自分でも判然としない。

その姿に触れたくて走れば逃げるし、
そっと近づけば風に攫われる。

なのに、諦めて立ち止まった時だけ、
なぜか向こうから近くへ来ることがある。

まるで、
「捕まえようとしない者」を知っているみたいに。

あれは、ふわふわして掴みどころがないのではない。

たぶん、
生きるための飛び方を探っている。
強くなりたいわけじゃない。
無傷になりたいわけでもない。

ただ、
羽を毟られない高さを、
必死に探している。

蝶道は、安全地帯ではない。
風もある。
鳥も来る。

それでも、その蝶にとっては、
そこが最も「飛べる」軌道なのだろう。

だから何度でも通る。
擦り切れても、
少し羽が欠けても、
それでもなお、
自分の軌道として。

題 モンシロチョウ

5/12/2026, 7:21:48 AM