SAKU

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部屋の装飾に鳥籠を探していた。今回の催し物は熱帯のジャングルとお耽美の掛け合わせといった風情で、以前より比較的暇な自分は主人の部屋を彩るべくやる気のない相棒と共に動き回っている。
鳥籠を正面から見た左端に配置すべきなのだが見当たらない。
眉根を寄せていると相棒が近寄ってくる。
飛び立つ鳥もいないのに、何を捉えているというのか。
自由の範囲が違うだけで、捕らえているというのは違うだろう。
暇なのか変に混ぜ返して言葉遊びを始める相手に、こちらも暇だし乗ってやることにする。
決められた使命があってやり遂げなきゃならないとして、それに付き合う義理もない。初めから籠なんてないだろう、というと、肩をすくめられた。
逃げないのは自由を知らないからかもしれない。
にんまりとチェシャ猫じみた笑みを貼り付けられた。
それこそ勝手だろうにと黙り込むと更に続けてくる。
知る自由も、選択する自由も、与えられないのに?
現状で足掻くか、それを楽しむ努力もしないのなら、嘆く権利もないと思うのだ。そのまま言うと、更に目を細められる。本当にちょっと面白がっているのが気持ち悪いなぁ、と呆れた。
そもそも、鳥籠を不自由の象徴にするのは如何なものか。養豚場の豚の方が不自由な一生を送る気がする。やはり空を飛べると言うのが自由に見えるのか。飛ぶ方が止まり木がないと寄り道もできないし不自由そうだけどなとつらつらと考えていることも読まれているんだろう。
鳥籠を探して彷徨っていた手にかつりとあたった透明な箱。これで代わりにならないだろうか。
虫籠を両手に持って示すと、いつもは饒舌な相棒が綺麗な笑顔で暴力にて却下してきた。
確かにお耽美とは程遠いかもしれない。

7/26/2024, 9:34:22 AM