:一年後
一年後に死ぬんだ。今のところそう決めている。
これが案外面白いんだよ。私は一年後に死んでいるというのに周りの人は私を誘って一年後の予定を立てる。なんだか変な感じだろう?未来の予定を立てて「楽しみだね」なんて言い合って、このまま何事もなく一年後までずっと生きているような。
実際のところそこまで強く死のうとしているわけではない。長く続く人生に自分なりの区切りを作っていかないと、ずっとだらだら生きていくような気がして恐ろしいから、仮の終わりを作りたいだけなのだ。あくまで目印だから何も本気で死のうってわけじゃないのさ。
何分不安を感じやすい質らしく、何か勇気づけてくれるものがないと毎日毎日不安で堪らないのだ。「一年後に死ぬから大丈夫」と思うと、不思議とすんなりご飯が食べられるし、やりたいことができる。初めの頃は「どうせいつか死ぬから」と思ってやり過ごしていたことが「いつって何日?何年後?人生が終わるのはいつ?私はいつ死ねるんだ」という不安に変わってしまったのでその対策をした。あまりにも調子の悪いときは「1ヶ月後には死ぬから」「1週間後に死のう」と近い期限を設けてほっとしている。
死ぬから大丈夫、全部なくなる、どうってことない。怖いことなんてなんにもない、失敗してもどうせ死ぬから怖くない。と、生きるために死ぬことを考えている。特別変なことでもないと思う。「どうせ死ぬんだから人生楽しもうよ!」という言葉ほど明るくはないかもしれないが、似たようなものだ。
私は一年後死んでいるというのに、この人たちは私が一年後も生きていると思っているんだ。と思うと、私はなんだかおかしく感じる。己が滑稽な存在だと思えてくる。
肯定されているような気がするからほっとするのだ。この人たちは私が一年後も生きることを許してくれている。だから生きてもいいんだ。って。滑稽だ、誰かが認めてくれないと生きられないなんて、どれほど自信がないんだろう。不安定なんだろう。馬鹿馬鹿しいと思うよ、けどそれがないと生きることすら不安なんだ。
一年後に私は死ぬ。という予定で、今日も生きていこうと思う。
5/9/2024, 8:09:36 AM