「空が見たいな」と、君が言った。
何の話? と首を傾げたら、君はとても儚げに笑った。そんな顔はこれまで見たことがなかったから、今まで霞んでいた目の前の景色が、急に現実味を帯びてきてしまった。
ああ、そっか。本当に終わりなんだ。もうすぐ全部が終わるんだ。
「理想郷って、あると思う?」
理想郷、か。そうだなぁ。
きっと、空が青くて、空気が美味しくて、自由にどこまでも行けるんだ。
お腹いっぱい食べられて、暖かくて、誰も傷つかなくて。皆が笑って暮らせる、そんな理想の場所。
けど、きっと現実にはないよ。あったとしても、私たちは行けないよ。
こんな体じゃ、もうどこにも行けないよ。
火の勢いが増してきた。床も壁もオレンジの炎に煽られて、焦げ臭さが鼻につく。
地上に出る階段は、倒壊した瓦礫におおわれて通れなくなってしまった。他にここから出られる道は無い。ここで終わり。全部終わり。
嫌いだったな、この研究所。
連れてこられたその日から、来る日も来る日も実験ばかり。人体実験ばかりされるから、身も心もぼろぼろになって。
でも、いいか。許すよ。どうせもうすぐなくなるものね。
膝から下の感覚がない。さっき降ってきた瓦礫に潰されたから、たぶん、もうぐちゃぐちゃだ。痛みは思った程でもないけれど、見るときっと酷くなるから、見たくない。
最後に空が見たかった。
いつか全部が終わるのだとしても、それはここじゃないどこかが良かった。
「理想郷はさ、天国にあると思うんだ」
隣で君が言う。それに応えたいけれど、声は出ない。だから、心の中で返事をする。
双子だから、伝わるかもしれない。そんな淡い期待を込めて。
君は信じてるの? 天国。
「信じる者は救われるんだって」
なあに、それ。
「一緒に行こうか。天国」
そう言って、手を握られた。繋いだ君の手はとても温かくて、いつの間にか自分の手が、とても冷たくなっていることに気がついた。周りは燃えてて暑いくらいなのに。
私は、死んだら全部そこで終わりなんだと思っていた。天国とか地獄とか、そんな都合のいいものはなくて。しょせんは全部、人がつくり出した想像なんだって。
でも、どうなのかな。あるのかな。
もし死後があるのなら、私たちが行く先は、きっと地獄の方だろうけど。
「大丈夫だよ」
繋いだ手が温かい。声につられて君を見あげると、優しい瞳と目が合った。
「天国でも地獄でも。どっちみち、行き着く場所は一緒でしょ」
独りじゃないなら、寂しくないね。そう言って笑う君に、じわじわと胸が暖かくなるのを感じた。
そうだね。生まれる前から一緒だったもの。生まれてからも、この先もずっと一緒だね。
だんだん目の前が霞んでくる。手を包む温もりを感じながら、ゆっくりと目を閉じた。
どうせ全部が終わるなら、最期くらい、いい夢見ながら終わろうか。
/『理想郷』
11/1/2024, 9:17:56 AM