長月より

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ひとひら

 ひとひらの紙片が宙を舞っていた。
 春の嵐が紙片をさらう。落下しようと思っていても風でうまくできないようだ。そもそも、あの紙は真っすぐ落ちたいと思っているのか、早苗にはわからない。

「ショーゴくん、ごらん。あの紙の一片を」

 隣にいた宮川翔吾に声をかけると、彼は睨むようにして、一枚だけの紙吹雪を見た。

「ただの紙切れだろ」
「情緒がないな。あの紙片の気持ちを考えてみろよ」
「それがなんだよ」
「真っすぐに落ちることができないあれは、憐れだと思わないか?」

 本当に憐れだと思う。いくら空気抵抗でひらひらと落ちていく性質だとは言え、自身の進みたい方向へ進めないのは、とてももどかしいだろう。まして、こんなにも風が強い日だ。落ちずにずっと宙を舞い続けているのは、自身の身を削り、求めていた落下地点へ遠のいていくことになる。それは、どれくらいの苦痛がともなうのだろう。
 早苗の言葉に対して、翔吾が口を開いた。

「落ちたくないから、舞ってんだろ」

 視線が合う。彼の金に近い色の瞳から、パチっと音が立ったような気がした。

「そうか。君にとってあの紙は、舞いたいから舞っている。対して僕は落下できないから仕方なく舞っていると、それぞれ別の解釈でいるんだね」
「ただの紙切れにどんだけ解釈を内部発生させてんだよ」
「思慮深いといいたまえ」
「妄想の間違いじゃねえのか?――落ちたな」

 翔吾の言葉にハッとして前を向いた。ひとひらの紙片は教室棟と職員棟の間にある渡り廊下、建物でやや薄暗くなっているところで職員室へ帰ろうとしていた教員の白垣の足元へ落ちていった。

「んー?」

 と、言って白垣が落ちた紙片を拾い上げる。
 紙を見つめて、数秒――急に「こんなところにあったかあ」と喜んだ様子で紙をポケットの中にしまいこみ、教室棟の方へ吸い込まれていった。
 その様子を早苗と翔吾は中庭のベンチ付近から一部始終を見つめていた。
 
「どうやらあれは、帰りたいところへ帰ろうとしていただけかもしれない」

 早苗がそういうと翔吾も「だな」と呟いた。
 あとには、湿った強い春の風だけが残っていた。

4/13/2025, 1:55:32 PM