匿名様

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雪が降った。多大なる遅刻なのか、はやる気持ちがゆえのフライングなのか。どちらにせよ季節外れの雪だった。
今は梅雨のはじめ。春から夏へ気温と景色の変化を見せていたここら一帯は、この白い妖精の登場によって困惑と少しの高揚感を持ち朝を迎えた。
広範囲に行き渡った寒さ。いつもの情報番組も、SNSのトレンドも、今日はその話題で埋まっている。
それでも社会とは厳しいもので、いつも通りの生活を強いられるのだ。
もうしばらく出番はないからと奥にしまい込んだ上着を引っ張り出して、幸い真冬ほど冷たくはない空気の中に出ていかなければならない。重い足跡をぽつぽつと先へ、歩道を薄く覆う雪を潰して溶かしていく。
朝は苦手だ。起きられない。こんなに冷える朝なら尚更だった。どう考えても間に合わない時刻を表示する液晶画面をポケットにしまい込み、快適な温度を求めて駅へ入り込む。環境音しか聞こえないような小さな駅は、雪のせいでいつもより寂しく思えた。
切符を買って無人のホームに出ると、ちょうど目の前で発車していく電車を諦めと落ち着きの感情で眺めた。
長い空白の時間は座って待っていようかと、ベンチの置かれた方へ顔を向ける。
ホームには一人、自分以外の誰かの姿があった。
おそらく先程の電車から降りてきたのだろう。何故かどこに行くこともせずに、ただしんしんと降る雪を見て立ち尽くすその誰かには覚えがある。

「久しぶり」
近寄って声をかければようやくこちらに気が付いたようで、呆けた顔は瞬く間に驚きと懐かしさを孕んだ表情に変わった。
彼は何年か前にここを去った友人だった。離れた直後は、定期的とまではいかずとも連絡を取りあっていたが、その回数も月日が経つにつれ減った。存在こそ頭の中にはあれど、最近は全く関わりを持たなくなってしまった。そんな仲。
背丈は何センチ伸びただろうか。声は、顔はどれほど大人びただろうか。記憶の中にいる彼の形は随分すり減っていて、目の前にいる彼の変化の大きさを具体的に実感できない。
「久しぶり。いやぁ、一瞬誰かと思ったわ」
「そんな変わってないよ。……帰ってきてたんだ」
「ん、ちょっとな」
自分から話しかけたくせに、そうなんだ、などと当たり障りのない返事に頷きをそえて返すくらいしか出来なかった。
距離感をはかりかねている。気まずさが拭えなかった。別に仲違いをした訳でも、自分から連絡を絶った訳でもないのに、昔のように話題を繰り出すことが出来なかった。関係の自然消滅などよくある事だというのに、それを元通りにする方法も、そうすることが正しいのかも知らない。
「変な天気だね」
「な」
彼の方はどうなのだろうか。今の今まで、こちらのことなど忘れていただろうか。もう馴染んでしまったどこかの街で、充実した生活を送っているのだろうか。
なんでもないようなその態度の裏が気になって、しかしそれを直球に聞くのはよくないことのような気がして躊躇われた。
普通なら誤魔化しのように思われる天気の話題は、今日ならば新鮮な話として持ち出せる。今はこの雪が有難かった。
「確か雪、好きって言ってなかったっけ」
「よく覚えてんな。今も好きだよ、なんかテンション上がるし」
度々雪を眺める沈黙を挟みながら会話を交わす。聞きたいことや話そうと思っていたことはいくつもあるはずなのに、それを切り出す勇気は出ない。それでも、はじめよりはこの距離が上手く近付いているのではないか。
早く次の電車が来ることを願う一方で、もう少しだけこの時間が続いて欲しいとも思っていた。
ちらりと携帯で時計を確認する。電車の到着予定時刻まではあと数分。この気候で遅延などはしていないだろうか。わざわざ確認することはしなかった。

徐々に両方が口を閉ざす時間も短くなってきて、ほんの少しかつてのような温かみを取り戻してきたその数分後。互いの声をさえぎって近くの踏切が警報音を鳴らした。電車は自分とは違い、ほぼ予定通りに来たようだ。
「あ。俺もそろそろ行かなきゃ」
彼も時間を確認し、見計らったようにそう声を上げる。それなりの時間をここで過ごしてくれたのは、こちらとの交流を望んでのことか、それとも。
過ぎった考えは気分を沈める上、彼にも失礼だと急いでかき消す。どうか前者であって欲しかった。
「待ち時間に付き合わせてごめん、寒いのに」
「いや、久々に話せて楽しかったよ」
手を振る。別れはすぐだ。まだ話したいことの半分も話せていない。天気の話は場を繋ぎ、緊張をほぐすのには有効だが、関係の修復には力不足だった。
ここで再び会えたのは偶然なのだ。ならば。
迷惑と距離を、相手の今を崩さない方がいいのかと考えるばかりに踏み込めなかった一歩。これっぽっちも大きくはない、昔からしたら当然で何気ないこと。

「また連絡するね」

開いたドア。空いた車両に乗り込む前に、彼がこちらに背を向けて去る前に。たった一言そう言った。

「おう」
返ってきたのは笑顔と肯定。なら、これはきっといい兆候だ。気にしすぎていたのはきっと自分だけだ。
安心とどこか晴れたような気持ちを胸に、友人へ軽い別れの挨拶を残した。
季節外れの雪は小降りになって、代わりに遠くで晴れ間が見えていた。


【天気の話なんてどうだっていいんだ。僕が話したいことは、】

5/31/2023, 5:10:41 PM