シシー

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 目が、あった。
その色はついさっきまで食べていた桜餅のようだった。柔らかな薄紅色を瑞々しい萌葱色へと移り変わる、その経過を表しているようだった。

 目が離せない。
ゆっくりと近づいてきたそれは、信じられないくらい真っ白な手を伸ばして僕の顔に触れた。
ゆっくりと輪郭をなぞり、なにかを確かめるようにじっと僕の目の中を覗き込んでいる。
満足したのか、これまたゆっくりと離れていくそれは少し淋しげに笑ったようにみえた。

 ざあ、と音を立てて強く風が吹く。
柔らかい吹雪が視界を覆い尽くして、かろうじてみえたそれは小指をたてて僕をみつめていた。慌てて手を伸ばそうとして、グッと力強く後ろに引っ張られた。
華奢というには細すぎる皺々の骨ばった手が肩を抱き、もう片方で視界を塞ぐ。

「おまえにはやれない」

 はっきりとした音が風の中に響いた。まるで、洞窟の中にでもいるように反響して聴こえた。外にいるはずなのになんでだろう。

 気づけば見慣れた庭にいた。なぜかばあちゃんに後ろから抱きつかれていて、泣いていた。いかないで、いかないで、と小さく呟きながらばあちゃんが泣いている。
 そういえば、じいちゃんはこの庭でいなくなったんだっけ。そう、いなくなった。亡くなった、ではなくいなくなった。

「おまえまで連れていかれなくてよかった」

 あんなに咲いていた桜はこの一瞬で半分くらい散ってしまった。庭に散らばったはずの花びらは数枚を残してほとんど見当たらない。どこかへいってしまったのだろう。
 ひらり、1枚の花びらが降ってくる。それは庭にあるものよりずっと濃い色をしていた。まだ泣いているばあちゃんの頭にのって、じわりと溶けていった。その部分だけもとの白髪と混ざって桜と同じ色になって、瞬きしたらもうもとに戻っていた。
 なんだかよくわからないけど、ばあちゃんはここにいてはいけない気がした。遠くから聞こえる風の音が来る前に離れなければいけない。
皺々の手をひいて家の中へ戻る。2つ並んだ座布団に座って縁側の窓を閉めた。途端、強い風が吹きつけて桜を揺らし残った花びらを攫っていく。宙を舞う暇もなく、飛ばされていった。どこか、遠くへ。ばあちゃんも僕も行けない遠くの空へ飛んでいった。


              【題:遠くの空へ】

4/12/2024, 11:31:45 PM