忘れがたい記憶がある。
これは筆者本人、つまり俺の記憶だ。
もうそろそろ受験という焦りと、
どうにかなるだろうという余裕。
対極となる二つが出始めた頃の話だ。
話は変わるが、我が家には大層可愛い犬がいた。
犬種はシェルティ。
シェットランドシープドッグ。
セーブルという模様の茶色の女の子。
温厚と言うよりは大雑把で気楽で、
それでいてとても優しい子であった。
その子の名前を福徠という。
福が徠ますようにという願いを込めて。
色々なあだ名(少なくとも十以上はあった)
がつけられたのであの子は名前と認識していなかったかもしれない。
あの子は保護犬だった。
繁殖犬として雑に扱われ、
ケージの中で立つこともままならなかったのだと聞いた。
話を受験期に戻す。
もうすぐ福徠が来て二年というその時に福徠が死んだ。
気管支炎に気づいてやれずそのまま悪化させて、
肺炎になり血が溜まって呼吸ができなくて、
俺の目の前で息を引き取った。
目を見開いて舌を垂らして糞尿を漏らして。
もっと幸せにできたはずのあの子を俺は見殺しにした。
本当は気づいてないわけがなかった。
呼吸がおかしいのはずっと前からだった。
ご飯を食べたあとよく噎せていて、大丈夫?ってよく声をかけてた。
様子がおかしいって、医者に連れて行ってって
本気で言えばよかった。
お金がないとか、そんなに気にせずに、
生きてもらうために本気で説得するべきだった。
そんな事も出来なかったから、俺はあの子を殺してしまった。
殺したも同然だった。
あの子がくれた幸せと安心が、
ずっと染み付いて遺って居てくれている。
俺にはそれが嬉しくて辛くて仕方がない。
家に帰るたびに、嬉しそうに駆け寄る爪のちゃっちゃっという音が、
元気な吠える声が聞こえない。
玄関を開けた先には尻尾をぶんぶん回すあの子は居ない。
廊下に堕ちるように寝てるあの子は居ない。
ご飯のとき一段と動き回る茶色が見えない。
おやつを欲しがる顔がない。
寝るとき寄り添ってくれる温かみがない。
足元に押し付けられるもふもふがない。
舐めてくれた舌の濡れが手につくことがない。
絶望よりよっぽどきつい気がした。
自分が傷ついたほうが余程良かった。
泣くこともできない。
灰になったあの子がリビングに居る。
でもそれはもう吠えないしお迎えしないしあったかくない。
忘れ難い温かい記憶ばかりを遺した。
愛したのだから、これからも染み付いたまま、
俺は無理をして生きていくしかない。
あの子が、福徠がくれた幸せを染み付かせて歩く。
あの子が生きて、俺を救ってくれたことを少しでも世の中に知らしめるために。
3/25/2025, 5:24:51 PM