瑞希

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少し前は思いついていた願い事は、今は何も無い。
強いて言うのなら、この日常が続きますように、だろう。
今の自分は「幸せ」と思えはしないけれど、「不幸」とは絶対に思えない生活をしている。
至って平凡で、平穏な日々だと感じている。

自分の「幸せ」を、誰かの「幸せ」に重ねている。
例えば、漫画やゲームなどの推しが幸せだと、見ている私も幸せになる。そんな経験は無いだろうか?
それは「本当の幸せ」とは違うのかもしれない。
でも、幸せと言う大きな纏まりで見れば、それも正解なのだと思う。自分にとっての幸せなんて、人によって違う。

ここから先は自分語りが多くなってしまうけれど、どうか許して欲しい。

最初の方に、願い事は何も無い、と書いた。
だが、それは嘘だ。無いのは「自分」への願い事で、他人への願い事ならばチラホラとある。
中でも一番願っているのは、推しの幸せだ。

私の推しは、基本的に過去に何かがあった人が多い。
今は明かされていないけれど、闇を抱えていそうだと思う推しも居る。その傾向に気がついた時は複雑に思ったけれど、今は違う。私は、苦しんでいた人が幸せそうに笑う瞬間が好きだということに気がつけたから。

そういう人は、基本的に誰かを愛せる。恋愛的な意味ではなくて、大切にできる、的な意味で誰かを愛せる。
最近読んでいる漫画の推しは、最初はビジュアルが好きで推していた。けれど、物語を読めば読むほど、仲間想いなところを知った。そして気がついたら、見た目ではなくて中身にも惹かれて、その全てを推していた。

アニメや漫画を見返していると、この発言が無かったらどうなっていたんだろうな、という場面がチラホラある。
主人公が周りの人に受け入れられたのも、独りで生きてきた主人公が変われたのも、心から笑えたのも。

何の漫画かはこの場では言わないけれど、薄々察している人も中にはいると思う。私の推しも、わかると思う。

七夕の願い事は、推しが幸せになれますように、だ。
作者さんのさじ加減だということは、理解している。
それでも、幸せになって欲しいと願ってしまう。

7/7/2024, 4:46:59 PM