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また会いましょう


『よっす』

古びれたとある街の神社。
本殿前の階段で座っていた少年は、片手をあげてやってきた少女に目を向けた。

「…こんにちは」

少年と少女。
互いに名前も知らない。
午後の日が落ちるまでの数刻、この神社で言葉を交わすだけの 不思議な関係はもう随分と続いていた。


『なによ、そんなに嫌そうな顔して。相っ変わらず可愛げないわねー』

つかつかと近寄って少年の顔を覗き込む。

「べつに。お姉さんっていつも暇なんだなーって思っただけです」

『暇なのはあんたも一緒でしょーが。つか、また勉強?』

ランドセルを抱えた少年の手元にはノートとテキストが広げられていた。

「宿題」

『どれどれ、あたしが見てあげよっか?』

ノートを覗き込んでいた少女の表情が次第に曇ってゆく。

『…最近の小学生って難しいことしてんのね』

「英語はもう必須科目ですからね。授業ではこんなにやってないけど」

僕、英語好きだから。と言いながらすらすらと英文を綴っていく。

『へぇー、あたしも前は英語好きでやってたな』

懐かしい、と呟く少女の声音が寂しげに空気へ溶けた。

「懐かしいって…お姉さんは現役でしょう?」

『まあそうだけど!あたしはもう現役から離れちゃったからさぁ』

少年の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。
目の前で伸びをする少女は、少年も知る高校の制服を着ている。
制服姿がコスプレではないのなら、少女は勉学真っ只中の学生だろうに。

「…どういうことですかそれ?」

『大人はいろいろあんのよー。お子ちゃまには分かんないだろうけど』

その会話を最後に、少女は数段下で大人しく小説を読み始めたので少年は疑問を飲み込んだまま英文に戻った。


『さってっと。帰ろうかね』

少女は立ち上がって伸びをしながら言った。
ぴょんと階段から降りて少年を振り返る。

『君はまだいるの?暗くなる前に帰んなよー』

ケラケラと笑う少女に少年は相変わらず冷ややかな視線を向けた。

「…さようなら」

『あ、そうだ』

少女はもう一度少年を振り返る。

『あたし、引っ越すことになったんだよね。だから、今日で君ともバイバイだ』

「はぁ、そうなんですね」

『そうなんですねって、それだけ?もうちょっと惜しんでくれてもいいんじゃないの?』

少年に右手を出しながらケラケラ笑う。

『じゃあ餞別』

「小学生に金銭を要求するなんてろくな大人じゃないですね」

『あたしまだ大人じゃないし。じゃあお金じゃなくていいよ。少年の名前教えて』

「やっぱりお金取ろうとしてたんですね。…名前ですか?」

『そ。あーでも個人情報だから嫌じゃなかったら』

「お金取ろうとしてたくせに変なところ遠慮するんですね。…僕の名前はーーー。」

少年の名前を少女は繰り返した。

『ふふ、いい名前だね。あたしはーーー。』

少年は少女の名を口にした。

『そう。いい名前でしょ?…気に入ってるんだ』

そう言って少女は微笑む。

『じゃあまたね、少年』

今度こそ去っていく少女の後ろ姿に、少しは惜しんだらどうだと言っていた台詞をなぞった。
そして自分はさっさと帰っていく少女の姿を静かに見送った。

時間が経てば、少年も少女も互いのことなんて忘れてしまうだろう。
刹那的なものだったけれど、そういう時間が、いつの日かあんな時もあったと心くすぐる思い出になったり。
またねと手を振る少年少女が巡り巡って再会する日も、もしかしたら遠くないかもしれない。

11/14/2022, 10:58:31 AM