いろ

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【子供のままで】

 七つ歳上の血の繋がらない兄は、この上もなく優秀で英明な人だった。

 ガシャンと、玻璃が砕けたようなけたたましい音が響く。それにはたと、キーボードを打つ手を止めた。
 窓の外が暗い。気がつけば日が沈んでいた。モニタの光だけがぼんやりと、闇に包まれた自室を照らしている。慌てて部屋を飛び出した。
「ごめん、兄貴! 時間気がつかなかった!」
 階段を駆け下り、煌々とライトの照らす明るいキッチンへと飛び込む。割れた皿を拾い集めていたらしい兄は、床に膝をついた体制のままで俺を見上げ、申し訳なさそうに眉を下げた。
「こっちこそごめんね。お皿割っちゃって」
「良いよ、そのくらい。後は俺がやるから、兄貴はゆっくりしてろって」
 クソ親父の要求に応え続けるこの人の心身に、疲弊が溜まっていることは知っている。せっかくの休日なのだ、夕飯の支度くらいは俺にやらせてほしかった。
「大丈夫。小説の締め切り、近いんでしょう?」
「それは、そうだけど」
 明日にでも編集から催促の電話がかかってきそうだ。今回は筆が進まなかった時期が長くて、珍しくも締め切り前日に初稿が完成していない。
「なら、大丈夫。その代わり書き上がったら、最初に読ませてね。君の作品の一番のファンは僕なんだから」
 立ち上がったその人は、くしゃりと俺の頭を撫でる。随分と上にある眼差しが、柔らかく細められていた。
 ……本当ならこんな苦労、この人はしなくて良かったはずなんだ。俺が凡骨だったから、優秀な後継ぎ欲しさに親父はお義母さんと再婚した。俺が背負うべきだったものを全て押し付けられて、それでもこの人は優しく笑うのだ。君は君の好きなことをして、自由に生きて良いんだよと。
 俺だって次の誕生日で成人する。子供の頃は怖くて仕方がなかった親父にだってもう堂々と逆らえるし、この人の負担を減らすことだって少しくらいはできるはずなのに。
 手のひらに爪が食い込むじくじくとした痛み。キッチンの照明が痛いくらいに眩しい。
 ――貴方の中の俺は、いつまでも子供のままで。埋まることのない身長差が、どうしようもなく悔しかった。

5/13/2023, 1:22:06 AM