Luca

Open App

「高く高く」


———何故山に登るのか。そこに山があるからだ。
ジョージ・マロリーという登山家の名言がある。
誰しも一度は耳にしたことはあるだろう。
現在ではただ単純に登山を指すのではなく、物事に挑むことに応用させて引用されることも多い至言だ。

 今私は山を登っているわけではない。
ただ道を歩いている。平凡な、どこにでもある住宅街の中心を貫く一本道を。しかしその道中でふとその言葉が頭をよぎったのだ。

 人生は山に似ていると私は思う。幾多の艱難辛苦を乗り越えた先の幸福を目指して、不恰好に泥臭く足掻く。達成までに流した汗水、時間はその時々によって異なるところも山の高さに例えることができる。
 何度転んでも立ち上がり、心を奮い立たせてようやくゴールに辿り着いた時には今までの苦しさなど吹き飛んでしまう快感が得られる。他ならぬ私とて日々ゴールを目指して悪戦苦闘している1人であり、大小はあれども少なくない数のゴールをこの手にしてきた。

 だがその後には必ず次の山が待っている。正しくは頂上にとどまることが不可能なのだ。
——もう疲れた、こんな苦しみは味わいたくない、だからここで休むんだ。
 どれだけ強い意志で留まろうとしたところで世界は絶えず動いている。世間、大衆、そんな大質量の奔流の中で止まることなどちっぽけなこの身一つでは叶うはずもなく、気づけば次の山の麓に立たされている。
 天高く聳え立つ山を見上げて、雲に隠れた高みを視界に入れて体の体積以上もあるのではないかと思えるほどのため息を着きたくなるときがある。私は今まさにそのため息をつききった所にいた。

 今日の疲れを癒す間もなく、終わりのない仕事に追いかけられる毎日。もう嫌だ!と手に持った鞄をその辺りの家の塀に投げつけたくなる。なるのだが、その度に頭に浮かぶのはただ1人の顔。大切な、わたしの人生を賭して添い遂げると心に決めた君。
 隙あらば道を捻じ曲げようとする私の弱気を払ってくれる、まっすぐな一本道に戻してくれる左手の指に感じるほんの小さな重み。また今日も助けられてしまったなと呆れのような微笑を浮かべてしまう。
 辛い道のりも君となら歩いて行ける。そんな確信がある。そう思えるただ1人の人だから、私は立ち止まらずに歩いて行こうと、何度目か分からない決意を新たにした。顔を上げれば青白い街灯にぼんやり照らされた一本道が続いていた。私は道を間違えないように一歩一歩踏みしめながら、人生という山を高く高く登っていく。

10/14/2023, 4:17:22 PM