穏やかな昼下がり、ステラとラインハルトは並んで座り、お茶をしていた。お茶請けは彼女が作ったザッハトルテだ。
「ねえ、もうすぐ、あなたのお誕生日なのよね?」
彼女の問いに、紅茶を啜っていた彼は驚いて噎せ込んだ。
「え、ええ。その通りですよ」
咳き込む彼の背中をさすってやりながら、彼女は笑みを浮かべると彼の顔を覗き込んだ。
「何か欲しいものはある? あまり高価なものは用意できないけれど」
「いえ、そんな、大したことではありませんし……普段通りで結構ですよ」
苦笑して彼は言った。
「それに、もう祝うような歳でもありませんし……」
その言葉に、あのね、とステラは彼をじろりとねめつけた。
「あなた、どこから聞きつけてきたのか、わたしですら忘れかけていたわたしの誕生日を、毎度盛大に祝っておいてその言い草はないでしょ」肩を竦めて彼女は続ける。「祝うような歳ではないって、そっくりそのままお返ししたいわ」
「あれは、あなたが生まれた日ですから」しれっと彼は返した。「私にとっては特別な日です」
ふんと彼女は鼻を鳴らした。
「でも、わたしにとっては、ただ生まれただけの日よ」
ステラはつんと冷淡に言い放ったが、すぐに笑い出すとラインハルトをぽかりと叩く。
「もう! 御託はいいから素直に祝われてなさい。大体何で教えてくれなかったのよ」
「……私にとってはただ生まれただけの日ですし」
照れ隠しなのか、むすっとして反駁する彼を無視して彼女は続けた。
「だから、何か欲しいものとかしてほしいこととか、ないかしら?」
しばらく彼は黙っていたが、それでしたら、と彼は口を開いた。
「一日、私の傍にいてくださいませんか?」
「そんなことでいいの? そんなの、別にいつだって、言ってくれればいるけど」
困惑したように眉根を寄せて、ステラは小首を傾げた。
「幼い頃、あなたに一度お会いして以来、ずっとお慕いしていました」彼ははにかんだ。「ですから、今、共に過ごせることが何より幸せなんです。これ以上のことは望みませんよ」
無欲ねえ、と彼女は笑った。
「聖人君子ってあなたみたいな人を言うのでしょうね」
まさか、と彼は軽い笑い声を上げた。
「聖人君子はあなたを手籠めにしたりしませんよ」
「確かにそうね」思い出して彼女は顔を顰めた。あれよあれよと言う間に籠絡されてしまった。「あれはあなたにしては下劣な手だったわね」
でもまあ、終わったことだ。あれを含めて、彼のことを受け入れると決めたのは自分なのだから。
彼の落ち着いた深い青色の瞳には、後悔の色が沈んでいる。彼女は安心させようと口元に笑みを浮かべた。
「もう怒ってないから、安心しなさい」
「……それに、これ以上、欲を出すとあなたを雁字搦めにしてしまう」
おや、とステラは片眉を上げた。何だか雲行きが怪しくなってきた。
「例えば?」
深い青色は深海のように暗い色を湛えている。
「あなたを屋敷から出したくないし、本当はあなたの世話を誰かにさせたくもない。何なら、あなたを籠に入れておきたい……」
あははと彼女は笑い声を上げた。とんとんと彼の背中を叩く。
「重症ね」
でも、と彼は続ける。ぎゅっと彼女を抱きしめると、誓うように囁いた。
「それよりも何よりも、あなたのやりたいことを邪魔したくない」
ステラは目をぱちくりとさせた。まさかそこに帰結するとは。
「……あなたって、本当にわたしのことが好きなのね」
思わずといった調子で彼女はつぶやいた。己の望みを吐露してもなお、自分を優先させようとする彼のその姿に、少し罪悪感を覚える。今まで、自分は魔術のみを追い求め、それ以外のものをあまり顧みてこなかった。
彼は彼女から体を離すと穏やかに微笑んだ。先ほどの暗い色はもう影も形もない。
「そうだよ、僕の可愛い奥さん。好きだけでは足りない。あなたを愛しているよ」
直截な彼の言葉に、ステラの顔が見る見るうちに赤くなっていく。
3/1/2024, 2:54:52 PM