いろ

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【理想のあなた】

 憧憬とは、理解から最も遠い感情である――。その文言を目にしたのは、いつのことだったか。いまいちそれは思い出せないけれど、何故か俺の頭の中を昔一度見ただけのそのフレーズがグルグルと回っていた。
 目の前で君が泣いている。いつだって明るくて、自由で、何に怯えることもなく世の中のあらゆる困難へと果敢に挑戦し続ける、俺の憧れの人が。
 俺は臆病だ。親の期待や世間の考える普通の枠組みから外れることが怖くて、いつだって本心を隠し続けてきた。だからこそ俺とは正反対に、堂々と『自分』を掲げる君の在り方に憧れていたのに。
(俺はいったい、君の何を知っていたんだろう)
 もう嫌だ、どうして、何でみんなわかってくれないの。嗚咽の合間にこぼれ落ちる君の悲鳴が、俺の心臓を鋭く突き刺す。立ちすくむ俺に気がついたのか、君はゆっくりと顔を上げ、そうしてひどく歪んだ微笑みを浮かべてみせた。
「ごめんね。君が思うより、強くなくて」
 掠れた声だった。頬を伝う透明な涙。それでも必死に笑顔を取り繕おうとする姿に胸が締めつけられる。気がつけば君の身体を抱き寄せていた。
 思っていたよりもずっと華奢で、小さな身体だった。震える肩が痛々しかった。ああ、俺の抱いた身勝手な羨望も、君を追い詰めていたのだろうか。だとしたら俺は最低だ。君を傷つけた社会の醜悪さと、何ひとつ変わらない。
「俺は、どんな君も好きだよ」
 真っ直ぐに背を伸ばし、社会の理不尽と闘い続ける美しい人。一方的に作り上げた俺の中の理想の君に別れを告げて、目の前で泣きじゃくる本当の君をただ強く抱きしめた。

5/20/2023, 11:51:27 PM