失われた響き
私は、これについて書くにあたりテーマを考えた。
人間に元々あったものが時代が流れるにつれて、消えたものは何かと。
それは、個性だと考えた。
個性とは、人それぞれに備わっているものと考える。
いつからか個性を大事にしようという言葉が、生き物かのように活発に動き出したのを、小学生の自分は、酷く感じていた。
しかし、その言葉の個性は、皆が常識だと思う範囲で、個性を行使せよという意味が垣間見える。
例えとして、国語の問題で、傍線部の説明として適当なものを次の①から④のうち1つを選べという問題をあげる。
この時、私はとても窮屈だ。
皆が常識的に選ぶであろう記号を選べという問題に見えてしまう。
もしここで間違えてしまうと、君は非常勤な人間だとスタンプを押されたかのようにさえも思う。
これは、個性を消されているのではないだろうか。
個性を行使すれば、周りから白い目で見られ、指を刺される。
多様性、多様性と狂ったように言う時代は、形だけである。
個性は、人それぞれにあるが、社会には、個性は存在しないのだ。
こんな世界は、破壊する必要がると言うのは、少し乱暴すぎるだろうか。
しかし破壊しか方法がないという結論に回帰する。
私はいつもこの問題に悩まされる。
11/30/2025, 4:06:08 AM