あるまじろまんじろう

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 朝、アトリエで筆を握り、キャンバスに色をのせたヨネが、
「あ」
とかすかな叫び声をあげた。 
「失敗した?」
 間違えたところに塗ってしまったのか、と思った。
「いいえ」
ヨネは何事もなかったように、賑やかに色づいたパレットから新たに色をとり、ゆるりとキャンバスに筆をのせた。ゆるり、という形容はヨネの場合、決して誇張ではない。極まって活動的で、はつらつたるヨネは、こうしてキャンバスに描きだす時だけは気だるそうに振る舞う。ヨネは左手に筆を握ったまま、右手の指で小さな唇をふにふに触った。何か考えているとき、無意識に行う癖だ。ヨネは、ゆったりとした足取りでキャンバスから離れ、遠くから絵をながめ、またゆったりと戻ってきては色をのせた。
「もうすぐ完成?」
 キャンバスを覗き込む。ヨネはこちらを一瞥して、一言、うん、と返事をすると、興味がなさそうに作業を再開した。少し離れて、ヨネの横顔が見渡せる位置に設置された椅子へ腰掛けた。変わらず筆を動かしていた気だるげなヨネの瞳が、唐突に力強く煌めく。ゆったりとした振る舞いは一変して、熱心に、全身をのりだしてキャンバスに筆を走らせる。絵が完成間際になった時にだけ見ることができるヨネの一面だ。完成間際。ヨネはその瞬間に力を込めて、一気に描ききる。私は大層それが気に入っていた。



力を込めて

10/7/2023, 11:37:12 AM