春は、別れと出会いの季節であり、何年かに一回は自分の生きる環境ががらりと変わる。そのなかの一回が今年である。
暖かくて気持ちのよい春の風と優しい熱を帯びた太陽の日差しを受けると、根拠のない安心感に包まれるのと同時に、底のない暗闇に落ちたような不安に襲われる。
そんなときに、寒い冬を超えたたくさんの命が目を覚まし、息を吹き返したかのように芽を萌え出していく過程は、わたしに勇気をくれる。
これまでの自分の選択が、そしてこれからの自分の選択が正解か間違えかは、今はわからない。
けれど、学校のテストみたいに、すぐにその答えを出す必要はないし、そもそも、”人生の答え合わせ”において正解か間違いかは大して重要ではない。
一番重要なのは、「心から”わたしにとって”いい人生だった」と思えることだ。
今、自分の選択が正解か間違いかを答え合わせすることにこだわるのではなく、未来に丸投げして、先送りにしておく。
今は、”今、自分ができることに集中する“ことしかできないし、できなくていい。ただ”今この瞬間“だけに全力を注ぐ。
今、自分が置かれている、投げ出したくなるような状況は、いつか”人生の答え合わせ”をしたときに、「人生全体を要約したときに、心から”わたしにとって”いい人生だったという思いを導き出すための、一つの伏線なんだ」そう信じることはわたしの自由だ。
わたしは、半信半疑になりながらでも、命の灯が消えるそのときまで、信じ続けたい。
このことを忘れないように、わたしの”こころの羅針盤”となってくれる言葉がある。
「自分にコントロールできないことは、いっさい考えない。考えても仕方ないことだから。自分にできることだけに集中するだけです。(松井秀喜)」
松井秀喜さんは、語りきれないほど多くの功績を残し続けている方だ。
しかし、わたしがこの言葉を”こころの羅針盤”にする上では、功績は全く関係していない。
功績は”他人からの評価”を受けたものであり、他人から高い評価を受けていても、”自分の評価”も同じくらい高いとは限らないから。
松井秀喜さんは、「残した結果に満足しないこと」とも述べている。
功績は、あくまで”他人からの評価”でしかなくて、”自分の評価”とぴったり一致することはないことを表していると思う。
わたしはこの言葉を胸に刻んで、いつか”人生の答え合わせ”をしたときに、「人生全体を要約したときに、心から”わたしにとって”いい人生だったという思いを導き出すための、一つの伏線なんだ」と思える生き方をしたい。
_______芽吹きのとき____________________________。
3/2/2025, 6:44:31 AM