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外廊下の階段を足早に登る音がして、うたた寝をしていたことに気付いた。ふたりで借りた築40年を越すアパートは、少しの振動も漏らさず建物中に伝える。寒くて動きが大きくなっているのだろう、ガンガンと響く足音にクスリ、と笑って、私は電気ケトルに水を入れた。
「ただいま」
建て付けの悪いドアの音にかき消されるような声で、私の頭より少し高いところから声が落ちてくる。離れていた時間を今すぐに埋めたくて、ドアが閉まり切るのも待たないで胸に飛び込んだ。
驚いた声をして少しよろめいたあとで、背中に腕が回って私を支える。抱きしめたあなたのダウンコートから、冬の夜が漏れ出してきて私の肌を撫でた。煙草と排気口、機械の油。それから冬の、冷たくて綺麗な匂い。
「どうしたんだよ。ほら、お土産」
パリパリ音を立ててビニール袋が持ち上がる。目立つ色合いの値引シールを引っ提げた、甘ったるいパンがいくつか入っていた。
「いや。ピエール・エルメのチョコが良かった」
笑いながら文句を垂れる私を、鏡写しみたいに笑ってあなたが少し叩いた。
ピエール・エルメのチョコ。エルキューイのスプーン、私の唇はルブタン。お水はペリエで、あなたの左腕にはフランク・ミュラー。
今はもうはなればなれになった、むかしの世界。どんな時も愛しいけど、あなたとふたりで半額のパンをかじる今が、1番愛しいのだ。
「.....そろそろかもしれない。この街を、出なきゃいけないの」
真面目な顔でそう話すあなた。分かってたよ。ダウンから漏れた空気の匂い、少し血の匂いがした。
「そっか。どこに行こう」
拍子抜けのような顔で私を見つめたあなたを笑うように、電気ケトルがガチャリ、と鳴った。

11/16/2023, 1:18:11 PM