「何から話せばいいかな?」
囲炉裏端に座り、睦月《むつき》は笑顔で燈里《あかり》と楓《かえで》に問いかける。
冬玄《かずとら》はここにはいない。家に戻ってすぐ、久子《ひさこ》と共に浜吉《はまよし》の家へと出ていってしまった。
「一番最初の話は手紙に書いた通りだし、その後について行った人たちもおんなじ感じだしなぁ」
「同じなの?本当に皆、自分の意思でヒガタについていったの?」
どれだけヒガタと共に姿を消した人がいるのかは分からない。だが、その誰もが自らの意思でヒガタについて行ったことが、燈里には信じられなかった。
「そうだよ。夢の中で見た皆、行かないとって、ヒガタと一緒に出ていったんだよ。削がれてしまって戻れないから」
「削がれた、ねぇ。君はそれが何を意味するか知ってるかい?」
燈里の夢の中で、睦月が言っていたことを思い出し、楓は僅かに目を細める。
何が削がれたのかは手紙の内容からも、夢の中で見たものからも分からなかった。
「知らない。でも何となく分かる気がするの。入ってきた分溢れて、それが元に戻らないから削がれた、みたいな感じ?」
首を傾げながら睦月は言う。それを理解できずに燈里は眉を下げるが、楓は表情は変えず視線だけを鋭くさせる。
入り込んできたもの。そして夢の中の睦月が言っていた、燈里は溢れていないという言葉。
燈里にとっての楓という存在が、この村にはいて、それをヒガタが連れていくのだろうか。
だが、溢れたとは何を意味するのか。何が溢れて、削がれてしまったというのか。
「そういえば、お姉さんのお姉さん以外が入っているのに、泣けるんだね」
茶請けの饅頭を齧りつつ、湯呑みに新しく茶を淹れ直しながら睦月は問いかける。燈里と楓の湯呑みをにも茶を淹ている睦月の表情は、とても不思議そうだ。
「入っているって、どういうこと?」
「え?だっているでしょ?お姉ちゃんが」
楓を指差し、睦月は当然であるかのように告げる。
「夢の中でお姉さんと話して、腕を掴まれた時に流れてきたの。よく分かんなかったけど、楓お姉ちゃんが燈里お姉さんの中に入った後も、お姉さんは泣いている所を何度か見たよ」
夢をほとんど覚えていない燈里とは違い、細部まで記憶している楓は睦月の言葉に眉を顰める。
相手が誰であれ、こちらの情報がすべて開示されたことへの危機に、楓は密かに警戒を強める。だが睦月の言葉を思い返し、そこに引っ掛かりを覚えて問いかけた。
「泣く、泣かないが、削がれたことにどう関係するんだい?」
泣かない子が、ヒガタについていく。その子に何かが内に入り込み、そのために溢れたものが削がれてしまった。
情報の断片を繋ぎ合わせ、形を作っていく。それはとても歪で、不穏の形をしている気がした。
「もちろん関係あるよ。泣いたり怒ったりするのが、溢れて削がれるの。削がれちゃうと戻らなくなるから、ヒガタについて行くんだよ」
茶請けの金平糖を口に放り、噛み砕きながら睦月は笑う。
「ご先祖様が生きてた時はまだヒガタがいなかったけど、ご先祖様は一人で山に行ったんだって。今年はわたしの番みたいだから、明日か明後日にはもっと溢れて削がれちゃうのかな」
睦月の表情に恐れはない。その異様さを掻き立てるように、ぱちん、と囲炉裏の火が音を立てた。
その頃、冬玄は久子と共に浜吉の家を訪れていた。
「なんだべ。おらいは咲子の話はよぉ知らんよ」
冬玄と久子に茶を出しながら、浜吉源護《げんご》は困惑したように眉を寄せた。
「咲子の話は、久子ばぁの方がよぉ知っとるだろうに」
「ヒガタの祭りを持ち込んだのが、この家だと聞いた。それが知りたい」
「あぁ、そっちか」
端的に問う冬玄に、源護は頭を掻きながら炬燵に入る。出された茶を啜る久子をちらりと一瞥し、小さく息を吐いた。
「確かに、おらいの先祖がヒガタを持ち込んだ。元々先祖はここでねぇ、海で漁師をしてたんだが、なんでか海に出れんくなって、逃げるようにここさ来たって伝わっとる」
「なら、あのヒガタは港町の来訪神か」
「んだ。故郷の祭りさ始めた理由は知らんが、恋しくなったんでねぇべか……んで、しばらくは小正月に家々さ回って、童っこさ脅かして、大人だけで打ち上げさやって楽しんでたんだが、咲子の件とモドキの件さあって、やんねくなったんだ」
茶を啜りながら、源護は疲れたように嘆息した。静かな家を厭うように首を振り、暖房の温度を上げる。
「祭りをやんねくともヒガタは時々、小正月に来んだ。だからおらいの嫁っこと子供は、小正月が終わるまで麓の街さ出してる。連れてかれっからな」
「連れて行かれるのは、女子供だけなのか?」
「さぁな。だが、今まで連れてかれっちまったのは、子供ばっかりだ。大人は聞いたことがねぇ」
「そうか」
港町の来訪神。連れて行かれる子供。
ひとつひとつ情報を確認しながら、冬玄は手紙に書かれていた娘の状況を思い出す。
娘の家に訪れたヒガタは、源護らの言うモドキではなかったはずだ。だというのに、最初からヒガタは来訪神らしくなかった。
静かに佇み、何をするでもなく去っていく。その後に、娘は続いて山へと消えていった。
削がれたという言葉が気にかかる。しかしこの場で聞いた所で誰も答えを知らぬだろうことを冬玄は理解していた。
「ひとつ聞きたい。咲子という娘は、いくつでいなくなったんだ?」
問われて、源護は眉を寄せる。遠い記憶を辿るように宙を見つめ、確か、と首を傾げつつ答えた。
「十四、だったか。それぐらいだったと聞いたことがあるけんど」
「十三だよ」
それまで黙していた久子が口を挟む。冬玄を見つめ、悲しく微笑んだ。
「咲子の誕生日は一月二十二日だ。その時はまだ、咲子は十三だったんだよ」
「十三か……なら、七年前はまだ七つにはなってないということだな」
「七年前?なんじゃそりゃあ?」
「咲子の弟が死んだ年だね……そういえば咲子、葬式では涙一つ見せなかった。あんなに大切に世話を焼いていたはずなのに」
久子が悲しげに目を伏せる。
それを気にかけず、冬玄は戻るために席を立とうとした時だった。
――しゃん。
風の音とは違う、鈴のような、金属が打ち鳴らされるような音が聞こえた。
「今の音は何だべ……それに、暖房さつけとんのに、寒ぃな」
ふるり、と身を震わせて源護はさらに暖房と炬燵の温度を上げた。それでも寒さが身に染みるのか、体を震わせながら上着を羽織る。
久子も何も言わないものの、その体は細かく震えている。冬玄は外を警戒しながらも、着ていた上着を久子にかけた。
「私は大丈夫だ。だから、」
「いいから来ていろ。お前らの言う、モドキが来ている」
「そんなはずねぇべ!ヒガタもモドキも小正月の晩さ来る。今までがそうだった!」
混乱し、戸惑う源護と久子を一瞥し、冬玄は部屋を出て、玄関へと向かった。
先ほど聞こえた音は、聞こえない。だが代わりにず、ず、という地面を擦るような音が家の前を通り過ぎていく。
吐く息が白を増していく。玄関周りが薄らと霜が降り始める。
きん、と冷えた空気。それは凍てつく冷たさを宿しながらも、神聖さすら感じられる澄んだものだ。
「山の気配……領域を連れてきているのか、それともモドキ自体が領域なのか」
玄関扉の向こう側にいる何かの気配を辿りながら、冬玄は眉を寄せ呟いた。
嫌な気配ではない。だからこそ違和感が拭えない。
何もかもがちぐはぐだった。元は港町の来訪神が山の気配を連れてくることも、この清浄な空気も。
「――燈里の所には、行かないみたいだな」
しばらく付近を彷徨っていた音が山の方角へと戻っていくのを感じ、冬玄は詰めていた息を吐いた。音が遠ざかるのに合わせて、凍てつく寒さが和らいでいく。
居間の方でも寒さが和らいだのだろう。暑いと騒ぐ源護の声と共に、久子が上着を持って居間から出てくる。
「これ、ありがとうね。大丈夫だったかい」
「あぁ、問題ない。悪いが先に戻る」
「そうかい。声をかけてくるけぇ、先に戻るといい」
そう言って居間に戻る久子を置いて、冬玄は家を出た。
外は変わらず雪が振り続いている。道は雪に覆われ、何の痕跡も見当たらない。
しかし薄らと残る澄んだ空気が、ここに何かがいたことを確かに示していた。
「悪い感じはない……やはり咲子とかいう娘は、神を見て混じったな」
足早に燈里たちの待つ家に向かいながら、冬玄は眉を寄せ呟いた。
人は、七つまでは神のうちという。
七歳を迎えることで、神の領域から人の領域に変わるのだと古くから言われていた。
その七つを迎える直前に、咲子という娘は来訪神を見てしまった。その結果、まだ神に近かった娘は神の一部を身の内に取り込んでしまったのだろう。
「新年早々に、厄介なものに巻き込まれるとはな」
溜息を吐きながらも、その目は鋭く険しさを帯びている。
この先に起こるであろうことに燈里が巻き込まれる確信に、冬玄の影が不穏にゆらりと揺らめいた。
20260111 『寒さが身に染みて』
1/12/2026, 10:43:14 AM