善次

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街へ

 『はるま』のラーメンが食べたい。
 春にしては寒い日だったから、そんな思いがコウヘイの体を動かした。球体ベッドの中に収めていたゲル状の体でぬるぬると這い出し、外着に身を滑り込ませる。四足歩行式耐衝撃スーツは、首を根本で切られた馬のような外見をしている。スライミィ、いわゆる不定形生命体のコウヘイは、外へ出る際には儚いプルプルボディを守るため、こうしたスーツが必要なのだった。
 馬に例えるならヒヅメの上にある、球節の部分に取り付けられている個人認証キーで家の戸締まりをし、カポカポと『はるま』を目指す。
 『はるま』は十数年前に駅前にできたラーメン屋で、ヒト型から獣人向けまで幅広いラーメンを提供している。そのせいで味は「しょう油」しかないのだが、コウヘイは『はるま』の大雑把な空気が好きなので気にしたことがない。
 閑静な住宅街を通り過ぎ、最寄り駅が近くなると自然と活気づいた雰囲気に包まれる。鱗も角も牙もないヒト種が着飾って電車を待っていたり、サイ系獣人がむっつりとパチンコ店の看板を手に佇んでいたりする。コウヘイと同じスライミィのグループが、似たようなスーツに身を包んで慌ただしく駆けていった。塗装まで統一されていたから、たぶん学生だろう。
 コウヘイは過ぎ去った学生時代に思いを馳せながら、『はるま』の戸をくぐった。昼の一番忙しい時間帯は過ぎ去り、まばらに客が席についている。掃除は行き届いているのだが、全体的に古臭くてさびれた印象が、コウヘイは好きだ。
「ラーメンひとつ」
「ウッス」
 バイトのエビ型マシンが首を縦に振った。触角で端末に注文が入れられると、待機していた大将がのっそりと身を起こしてラーメンを作り始める。
 『はるま』の大将はヒト・サイボーグだ。三対の腕を器用に使いこなし、全部で十二個ある目で温度・塩分・麺の茹で具合・スープの濃淡をチェックし、しょう油ラーメンができあがる。
「おまち」
「ありがと」
 スライミィ用ラーメンは他の種族用ラーメンと比較すると、冷えていると表現してよい。スライミィは急な温度変化に強くないので、摂取する食餌もできれば体温と似た温度が求められる。
 使い古された器に波打つ茶色いゲルは、コウヘイにとっては〈熱いラーメン〉だ。給餌用のストローをスーツから突き出し、ちょっとずつラーメンをすする。熱いスープと、糸のように細い麺をすすり、フゥフゥはぁはぁ言いながら夢中で食べる。
 最後の一滴もストローで吸い尽くし、冷えた飲料水で一服する。
 端末でくだらない情報を読み、ラーメンの消化を待つ。体全体をあたためていた熱が落ち着いた頃、コウヘイは席を立った。
 会計を済ませ、昼下がりのぬるい風をスーツの温度表示で知る。傾いた太陽がのんきな光を街へと注いでいた。
 そのまま家に帰ろうかとも考えたが、せっかく外へ出たので目的なく散歩することにした。どうせ今日は休みだ。抱えていた案件も片付いたし、急に連絡がくることもないだろう。祈りにも似た気持ちでカポカポ、街をさ迷う。
 〈都市〉はいちばん人口の多いヒト種に合わせて計画・建設されているから、スライミィのコウヘイが暮らすには不便な点も多かった。ビカビカと眩しくて、乾燥していて、スーツがなければまともにドアも開けられず、食料品店で売っているスライミィ向けのものと言えばマズい流動食しかない。
 それでも――ヒトも獣人もマシンもモンスターも混在するこの街の野放図さを、コウヘイは愛している。
 地元ではコウヘイの技術を活かせる仕事はなかった。反対する一族から逃げるように街へ出て、苦しいながらも自由な生活を謳歌している。自分だけの悩みだと感じていたことも、他種族も味わっていることを知った。
 公園のベンチのそばで動きを止める。終戦祝いで植樹された桜が、ふっくらとしたピンク色のつぼみでいっぱいになっていた。
 ――やっぱ、ここに来てよかったな。
 スーツの一部を開けて生身で桜を見上げながら、コウヘイは和やかな街の昼を愛しんだ。

1/29/2023, 12:10:48 PM