モンシロチョウ
ふわっとした風と共に春のうららかな香りが頬を撫でる。
先日までの寒さがまるで噓だったかのように太陽の暖かい日の光が降り注いでいる。
私はそっと目を閉じ、すぅっと空気を吸い込んだ。
都会の様な喧騒は無く、花々の香りと木の葉のさえずりが身体に入り込んでくる。
そっと目を開けた。
ここはだれも知らない小さなもりの広場。
仕事のストレスに耐えきれず、気の向くままに車を走らせていた。
なるべく静かな…誰も居ないような場所に。
ナビ設定もせずに山道を走っていると…
「…あれ?」
気が付くと全然知らない道を走っていた。
道路はアスファルトなのだが、周りは木々に囲まれて居て景色は見れない一本道。
昼間なのに少し薄暗い印象を与える、そんな道を走っていた。
元に戻ろうとナビを見るも、最近出来たのか現在地は山の中を差していた。
「どこかでUターンしないと」
しかし、走っても走っても道は開ける気配は無い。
時計を見ると時刻は15時半。ナビから推測するにそろそろ戻らないとこの道は街灯が無いから直ぐに真っ暗になって辺りが見えなくなってしまう。
しかもガソリンも心もとない…
いよいよバックしてでも戻るべきか。そんな事を考え始めていた時に、右側に看板が立っている事に気が付いた。
『この先 モンシロチョウの広場』
その看板は随分前から立っていたのか、色は所々剝げて四辺は雨風のせいか折れていたり丸まっていた。
この先に本当にあるのだろうか。疑問に思いつつ看板に従って車を走らせると…
「あった…」
確かにあった。あの看板と同じようなくらい古ぼけた看板と共にそこにあった。
どうやら道もそこで終わっているらしい。
折角ここまで来たのだから帰るついでにどんな場所なのか見ていこう。
そう思って広場の名前と同じくらい小さい駐車場に車を止め、ドアを開けた。
ふわっとした風と共に春のうららかな香りが頬を撫でる。
「わぁ…」
目の前の景色に思わず息を飲んだ。
確かに名前の通り小さな広場だった。
子供が遊ぶ遊具は無く、あるのは入り口前にある自販機と公衆トイレだけ。
だけど、広場の中は都会じゃ決して見ることの無い美しい景色が広がっていた。
辺り一面に広がる色とりどりの花々の絨毯を囲うように小さく開けた場所。その中心には大きな木が静かに立っていた。
まるでこの場所を見守るかのように。
私は静かにその場所へと足を進ませる。
中心に立つ大きな木の前まで来ると、一抹の風が木の葉を揺らす。
それは不思議と私を歓迎しているかの様に思えた。
「ありがと」
私は幹に寄り添うように身を預け、そっと目を閉じた。
気が付くと、私は全然知らない駐車場の車の中だった。
周りは真っ暗で自分が今何処に居るのか見当も付かない。
時計を見ると時刻は20時を回っていた。
あの場所は夢だったのだろうか…
「もう行けないのかな…」
目を擦りながら車のキーを回す。車体がブルンと揺れると頭からはらりと何かが落ちた。
車内灯を点け、見てみるとそれは若々しい木の葉だった。
その木の葉からはあの広場の香りがほのかに漂っている。
私はそっとそれをカバンにしまい込むと、シフトレバーをバックに入れた。
また来れる。そう確信したから。
5/10/2024, 1:15:58 PM