春の訪れを告げるように、街路樹の桜が静かに蕾を膨らませていた。風はまだ冷たかったが、陽射しにはほんのりとした温もりがあった。
駅前の小さなカフェのテラス席に座る彼女は、静かにカップを傾けた。ミルクティーの香りが立ち上り、ほっと息をつく。彼女の前には、一冊のノートと万年筆。そこには、几帳面な文字で小さなメモが書かれていた。
『今日の小さな幸せ』
この習慣を始めたのは、ほんの半年前だった。日々の忙しさの中で、些細な幸せを見逃さないようにと、小さな出来事をノートに記していたのだ。
今日の小さな幸せは――。
考えながら、ふと顔を上げると、目の前に見覚えのある姿があった。
「お待たせ」
穏やかな声とともに、彼が微笑んでいた。春の日差しを受けた彼の表情は、どこか柔らかく見える。彼女は思わず笑みを返した。
「そんなに待ってないよ」
「でも、もう紅茶が半分くらい減ってる」
「……まあね」
彼は苦笑しながら、向かいの席に座ると、コーヒーをひと口飲んだ。
「今日の小さな幸せは、もう書いた?」
彼は彼女のノートを指さした。彼女は少し考え、首を横に振る。
「まだ。でも、今書くよ」
そう言って、彼女は万年筆をとり、ノートにさらりと書き記した。
『好きな人と、春の日差しの中で過ごすひととき』
彼がそれを覗き込んで、ふっと優しく微笑む。
「それ、僕も同じかも」
「本当に?」
「うん。こうして君と会える時間が、僕の小さな幸せ」
彼女は一瞬驚き、それからくすっと笑った。
「じゃあ、今日の小さな幸せ、共有しちゃったね」
「うん、そうだね」
二人は微笑み合いながら、春の風を感じた。小さな幸せは、こうして積み重なっていくのだろう。
完
お題:小さな幸せ
3/29/2025, 1:35:31 AM