子供の頃、小動物になりたいと思っていた。
たとえばオコジョ、イシガメ、鳥など。
全き野生の中に生きるのではなく、教室の後ろに放し飼いにされていて、クラスのみんなを見守ると同時に昼休みなどには可愛がられる、そんな存在に。
鳥になった自分を想像するときは教室の天井近くの上方からみんなを見下ろしている映像を思い浮かべた。
そこに言葉はない。言葉のない映像だけの世界が居心地の良い空想の世界であった。
空想や妄想の内容はその後変わっていったが、居心地の良い場所は言葉のない世界であった。
そんな自分が、言葉を使ってなにかを表現しようとしていることに根本的な矛盾のようなものを感じている。
言葉なき居心地のよい世界から遠く離れて近づいていく
8/21/2024, 1:31:16 PM