【好き嫌い】
好きか嫌いかなんて、他人からはわからない。
桃が好きだとか、葡萄が嫌いだとか、わざわざ自己申告でもしない限り、人に知られることはない。
だから、私が真司を好きか嫌いかも、他人にはきっとわからない。
真司が私のことを好きか嫌いかも、他人である私には、わからない。
私と真司はいわゆる幼馴染で、家が近所だったから子供のころはしょっちゅう一緒に遊んでいた。中学生になったころからお互いよそよそしくなって、外ですれ違っても挨拶すらしなくなった。地元の高校で同じクラスになってからは、中学時代なんてなかったかのように、またちょっと会話するようになった。そんな間柄。
一部のクラスメイトには、私たちが幼馴染だと知られてる。「じつは好きだったりしない?」「付き合わないの?」という話が、当たり前のような顔をして出てくる。そんなときは、「思い出補正な友情はあるけど、恋愛的に好きってわけじゃないから」と返してる。真司側も、「俺、そもそも女嫌いだし」と言ってるらしい。私もどちらかといえば男嫌いなので、真司の気持ちはなんとなくわかる。
私たちのいる世界が少女漫画だったら、きっと真司はイケメンで成績優秀でスポーツ万能でモテモテの王子様、私は平々凡々で取り柄のない女の子だけど幼馴染特権で真司とラブラブ、みたいな展開になるんだろうけど、ここは現実なので、そうもいかない。
真司はイケメンというわけではないし、昔はバスケやってたけど今は帰宅部だ。勉強は好きじゃないから成績は悪いほう。モテる要素は見当たらない。それに、動きはガサツだし言葉は乱暴だしで、私の嫌いな男性像に近い。
私は顔こそ平々凡々だけど、成績は学年一位、しかも地元の名家の跡取り娘だったりするもんだから、自分で言うのもなんだけど、高嶺の花みたいな扱いをされている。
いまどき政略結婚なんて流行らないけど、それでも将来は親が決めた結婚相手と一緒になるのが無難だろうな、と思っているから、恋愛なんてするだけ時間の無駄。そんな悟りの境地に達している。
「百花また一位だったんでしょ? すごいね、その成績なら、もっといい高校行けたんじゃない?」
「ほんと、なんでこんな掃き溜め高校にいるのさ」
成績表が配られた日のお昼休みは、あまり好きじゃない。みんな私のことを口にするから。
「だってうちから一番近いし、昔からこの制服が好きで、絶対ここにしたいって思ってたの」
「わかるー、あたしも同じ! 制服好き!」
「可愛いもんねぇ。百花も女の子だねぇ」
真司の成績ならこの高校だろうな、なんて考えていたことは、誰にも言わない。父が選んだ高校を断固拒否していまは親子冷戦中、なんてことも秘密だ。大人になったら真司も私もべつべつの進路で簡単には会えなくなるのだから、せめて高校ぐらいは同じところに通いたい、なんて、思っていたとしても、おくびにも出さない。
私がなにも言わなければ、他人はなにも知らないまま。それが一番平和で、面倒がない。
お弁当を食べ終えて、私は友人グループから抜け、体育館二階の観覧席に向かう。
体育館では、男子生徒がバスケで楽しげに遊んでいる。それを二階の端の観覧席から見下ろして、ぼんやりしている、いつもの黒い後ろ頭。
「真司」
声をかけると、ちょっと嬉しそうに振り向く。
昔のように、しんちゃん、とは、呼べなくなってしまった。真司も、もも、と呼んでくれることはなくなった。
私は真司から一つ席を空けて座る。
「来月のクラスマッチの種目、まだ決めてないでしょ。早く提出するようにって、先生が言ってた」
「なんだよ、面倒くせぇな」
真司が舌打ちする。そういう乱暴なところが、私は嫌いだ。
「早くしないとバスケにマルするぞって」
「俺バスケ嫌いなんですけど?」
「知ってる」
「伊藤の種目は?」
「私は卓球」
「意外。バレーかと思ってた」
「大勢でわいわいやるの好きじゃないし……」
「わかるわ。俺も卓球にしよっかな。ラケットの持ちかた知らんけど」
「いいんじゃない。私もそんなもんだし」
スリーポイントシュートが決まったらしく、下のほうで歓声があがる。
「あ、もうお昼終わっちゃう。じゃあね」
「おう」
たったそれだけの短い交流を、私たちはお昼休みのたびに繰り返している。一学期のはじめ、観覧席でぼんやりする真司を私がたまたま見つけてから、ずっと。
真司は怪我でバスケ部を辞めたけれど、まだバスケが好きなのかもしれない。
でも、真司の口は、バスケを嫌いだと言う。
私は自分の家が真司と釣り合わないことを中学生のときに親から聞かされて諦めたけれど、まだ真司のことが好きなのかもしれない。
でも、私の口は、真司を好きじゃないと言う。ガサツで乱暴な真司のことを、嫌いだと言う。
真司は女嫌いを公言しているから、女である私のことは嫌いなはず。
だけど、私と話すとき、ちょっと嬉しそうに、照れたように笑うのだ。
「酸っぱい葡萄なんだろうな……」
イソップの、葡萄と狐の話を思い出す。手に入れられなかった葡萄に「あんな葡萄、酸っぱくて嫌いだね」と負け惜しみを言う狐の気持ちが、よくわかる。
「百花、お昼に葡萄残してたけど、そんなに酸っぱかったんだ?」
思考をうっかり声に出していたみたい。教室移動中、隣を歩いていた友人が話しかけてきた。
「そう、酸っぱくて……もともと葡萄そんなに好きじゃないんだけどね」
「えー、あたしは好きー。もらえばよかった!」
「酸っぱいからやめたほうがいいって」
「俺も、葡萄は好きじゃないな」
ふいに、真司が隣に並んだ。
「葡萄派すくなっ」
「まだ二対一だろ」
「えっ、待って、ねえねえみんな、葡萄好き!?」
友人が前のグループに駆けていく。私と真司が並んで残される。
「俺、桃は好きだよ」
ぽつりと落とされたその言葉に、私は驚いて真司を見上げた。
真司はあからさまに視線を逸らし、歩くペースを早めて前方の男子グループに混ざろうとしている。私はとっさに、その服を引っ張った。真司が振り向く。
目を見開いて心底驚いているその顔に、怯みそうになる。でも、言わなきゃ。
ここで言わないと、私たち、酸っぱい葡萄を噛み締めたまま、大人になってしまう。
「私も」
声を振り絞った。
「私も、好きだから。……桃」
見上げた真司は、泣きそうな顔で笑っていた。
「知ってる。小さいときから、そうだったよな」
私たちはもう一度、酸っぱい葡萄を噛み締めた。
だけど、あとちょっとで、甘い葡萄に、手が届くかもしれない。
6/13/2023, 6:30:32 AM