黒猫はきょとんとした顔をしている。
言いたいことは“そんなことないよー”だろうか。
すう、と短く息を吸う。
「私も、あなたの声がそのうち聞こえなくなる。
私は大人……大人じゃないといけないから。」
そう、もう子供じゃいられない。
小さい頃から家でも学校でも居場所がなくて、甘えるなんてこと親にも出来なかったけれど。
だって、何か下手なことをして相手を不機嫌にしたら面倒だ。
だから私には反抗期らしい反抗期もなかったと思う。
私が不機嫌だったり怒ったりすれば、母親はその倍不機嫌や怒りを露わにすることが目に見えていたから。
大人じゃないといけない、なんて思いながら私はとっくに大人の真似をせざるを得ない環境にいたのだ。
「何で?」
「……え?」
「何で大人じゃないといけないの?」
「何で、って…。」
「何で大人は夢を見れないの?」
「それは…。」
「お姉さんはー…」
ー 大人になりたいの?
質問ばかりしてくる黒猫に大人になりたいかと問われ、何も言えなくなる。
大人になりたいのだろうか、私は。
私はー…。
「もう、リン。遅いですよ。」
「あ、スイだー。」
「早くしないと本当に日が暮れてしまいますよ。」
「だってお姉さんが来てくれないんだもん!」
「またリンが話したいことだけをいっぺんに話したんじゃないんですか?」
「そんなことないよー、ねー?」
「ねーって……い、いやいや!何ちゃっかり不法侵入してるんですか!?」
足音ひとつ立てずにさっきの自称神様がいつの間にか部屋に入ってきていた。
そういえば猫は、この自称神様を“すい”と呼んだはずだ。
つまりさっき、待っていると言っていたのはこの人が待っていたということなのだろう。
「不法…ああ、勝手に入ってきてしまって申し訳ございません。
リンが連れてくると言ったのになかなか降りてこないものですから。」
「リンのせいじゃないのに。」
「リンのせいだとは思っていませんよ。
ただ手間取っているのだろうな、と思ったので私もお邪魔したのです。」
お喋り猫は「そっかー」なんて言いながら尻尾を揺らしている。
どうしよう。
どうやって逃げよう。
そもそも家まで知られたらもうどこにも逃げ場がない。
2人、いや、1人と1匹が呑気に話しているところで私は必死に逃げ道を考えていた。
考えがまとまらないうちに神様が「さて」と私の方へ視線を移す。
驚いて思わず肩を揺らした。
「私と共に来ていただけますか?」
「…え?」
「私と共に来ていただきたいのです。
あなたの願いのために。」
「え…い、嫌ですけど。」
「?何故ですか?」
「何故って…あなたのこと知らないし、神様とか変なこと言い出すし、その化け猫?と話してるしで、怪しさしかないと言いますか…。」
「リンはお喋り猫ー!」
「ご、ごめん…。
とにかくそんな怖い人と一緒になんて行けないです。」
そもそも何処に連れて行くつもりなのだ。
何一つ情報がないのに「いいですよ」なんてついて行く人はいないだろう。
すると神様は少し考え込んだような仕草をしている。
ぶつぶつと「んー、どうやったら信じてもらえるでしょうか……元の姿に…いや…。」などと呟いている。
何を見せられても信じるつもりはないが、神様は何か閃いたらしい。
「あ、そうです!
何か欲しいものはありますか?」
「欲しいもの…?」
「はい、あなたが欲しいものを贈ることができます!」
「いや、別に…何もいらない。」
「…そうですか。困りましたね。」
いきなり欲しいものなんて浮かぶわけがないだろう。
特に私のような死にたがりの人間なんて、物が増えるだけ虚しさも増すものだ。
ただ物がないのもそれだけ価値がないという事実を目の当たりにするようで虚しく、自分はとにかく面倒な部類の人間だと思う。
西陽が傾いて、部屋に淡いオレンジ色の光が刺す。
その光を見てお喋り猫はまた、くわっと大きくあくびをする。
「ねえ、スイ。
早くしないと本当に帰れなくなっちゃうよ。」
「おや、本当ですね。
仕方ないです、今はこれであなたを繋ぎ止めておくことにいたします。」
「な、何?」
「失礼しますね。」
そういうと私の左手をとった自称神様は私の前へ膝をつくと懐から水色と透明な石がついた指輪を取り出し、それを私の薬指へ通した。
神様の容姿も相まって、“少女漫画みたいだ”なんて思ってしまう。
その指輪は私のために作られたかのようにぴったりのサイズだ。
何でこんなにしっくりくるのだろう。
「何、この指輪?」
「次また会えるように、というおまじないとでも思ってください。」
「おまじないって…いや、こんなの渡されても困ー…」
「さあ、リン。
今日は帰りますよ。」
「はーい!」
私が文句を言い切る前に自称神様と黒猫は部屋を出て行ってしまう。
一瞬遅れて急いで玄関へ向かい扉を開けると、祖母と鉢合わせた。
「びっくりしたー」という祖母に、髪の長い人と黒猫が出てこなかったか尋ねる。
「いやー、すれ違ってもいないと思うけどねえ。」
「で、でもついさっき出てったばっかで…。」
「それにここら辺に髪の長い人なんて、りさちゃんぐらいしかいないよー。」
「すぐ夕飯の支度するからねえー」なんて言いながら家の中へ入って行く祖母とは正反対に私は玄関を出て、辺りを見渡す。
しかし祖母が言う通りにどこにも先ほどの神様とお喋りな黒猫はいなかった。
「どうしよ、これ…。」
左手の薬指なんて意味ありげなところにある指輪を見ながらぼそっと呟くと、遠くで夕焼け小焼けが聞こえてきた。
4/21/2024, 6:13:56 AM