"心の健康"
診察室で雑用しながら人を待っていると、開け放たれた扉の方から、コンコンコンッ、と小気味良い音が響く。
「おぉ。来たか……って、」
音のした方へ顔を向けると、診察室の出入り口の前に待ち人─飛彩─が壁に凭れ掛かりながら立っていた。顔面蒼白で、眼の下に隈が縁取られている。顔を合わせたのは数日ぶりだが、この数日の間に何があった…?
「顔色悪っ。…この数日間で何したらそうなるんだよ…。」
率直に思った言葉を投げかける。
「済まない、思った以上に難航してな…。」
申し訳なさそうに顔を伏せて答える。
「難航?…一体何が難航したんだよ?、そんな憔悴する程…。」
「患者の治療方針について、…内科と外科で。」
「あぁ〜…。」
なるほど、そりゃこんな顔色になるわ…。
「実際、俺はただ話を聞いていただけで、主治医である先輩の外科医が答弁に立っていたんだが…。その患者が兼科していた内科の医師と、手術方法について揉めて…。」
「うわぁ…。」
思わず悲鳴に似た声を上げて顔を顰める。内科と外科は犬猿の仲な感じで、カンファレンスで何度かいがみ合っているのを見た事がある。研修医の時に1度だけ治療についてのカンファレンスに立ち合った事があり、酷く対立していたのを思い出す。そういやそのカンファ後、部屋を出た時倒れて…起きたのは3日後で同じ研修医の人達やその時カンファに参加した医師達に相当心配されてたな…。放射線科医になって他の科との方針についてのカンファに俺が答弁する事も、カンファに参加する事も殆ど無かったが、いつも怖い先輩医師がもっと怖くなってたり、いつも温厚なベテラン医師が相当ピリついてたり、…口論してきた後の医師と一緒の空間になる度にビクビクしながら体を縮こまらせて時間が過ぎるのを待ってたな…。
「済まない、嫌な事を思い出させてしまって…。」
「えっ?…いや、俺は平気だ。」
なんて思い出していると、飛彩が心配そうな顔をして覗き込んできた。実際に参加して憔悴しているこいつに心配されるとは…。
「それより、……んっ。」
と、飛彩に向かって両手を広げる。不思議そうな顔をして俺を見る。
「…何だ?」
「いや、分かれよ…。んーっ!!」
また両手を広げてみせる。また頭に疑問符を浮かべやがった。…本当に分かんねぇのかよ。
「…〜ッ!!だぁ、かぁ、ら!来いっての!!」
遂にしびれを切らして声を荒げてしまった。すると「あぁ」とようやく意味が分かって、少しフラつきながら抱き着いてくる。飛彩の背中に腕を回して子どもをあやす様に背中を優しく、ポンポン、と叩く。
「抱き着いて欲しいのならちゃんと言え。」
「言わなくても分かれよ…。」
それから何分経ったか、ずっと同じ体勢で同じリズムで飛彩の背中を叩いていると
「…ありがとう。」
「別に、先輩が後輩を労うのは当然だろ。それに、…こうやって恋人を癒すのは、俺の役目でもあるし。」
優しく礼を言われ、言葉を返す。…後半むず痒くて尻窄みになったが。
「…少し寝るか?」
先程より呼吸音がだいぶ安定してきたので、睡眠を摂るよう提案する。憔悴した体と心を癒すには、睡眠が1番だ。
「そうする。…と、言いたいところだが、もう少しこうしていたい。」
「そうかよ。…その代わり、寝るんじゃねぇぞ?テメェを抱えてベッドに運ぶなんて無理だからな。」
「確かに、貴方は非力だから。」
「うっせぇ、米担げる程はあるっての。どの基準で非力っつってんだよ。…規格外なんだよ、テメェの怪力。」
「ふっ…。済まない。」
「テメェ…。」
その後、また優しくさっきと同じリズムで背中を叩く。数日ぶりの恋人の体温に喜びを感じながら。
8/13/2023, 12:31:49 PM