風邪
腕時計の針は容赦なく進む。
済ませていないタスクは次から次へと積み重なっていく。
妙に思考がボヤけるのは眠りすぎたからだと思っていた。
多忙に逃げることしか知らなかった私は、そんなことは気にも止めずにシャキシャキと働いていた。
次はあれをやる、その次はこれ。
これは片付いたから報告をして、まだ済んでいないこれは...手間がかかるから保留、今はまずこれを...
作業計画をまとめたところでふと気づく。
今日はやけに寒い。
...?
寒い?なぜ...?
こんなに暖房が効いたオフィスなのに?
............。
...ッ!何やってんだ自分、ふざけるな、忙しいのに...何ボーッとして...っ...
視界が崩れていく。誰かの声がする。
「これくらいできて当然だろう」
「困るよ、新人のくせに返事ひとつできないのか?」
「...すみません」
...あれは、私...?
「反省してんの?改善点は?自分のせいでしょ?」
「自分が、しっかりしてないから...もっと注意を払って取り組むべきでした...」
ミスは悪。自己責任、体調管理も仕事のうち。できないなんて社会人失格...自分のせい。
......!!!
ハッとして脳内を整理する。まずい、私としたことが。
あの件はどうなった?まずは連絡を...
「まだ寝てていいんですよ」
ギョッとして声のした方を向くと、そこには知らない女性がいた。
警戒心丸出しの私の顔を見たその女性は、そりゃあそうなるよね、といった顔でゆっくりと口を開いた。
「私は隣の部署の霧島といいます。ここは私の家です。あなた、通路で私とすれ違った瞬間に倒れたんですよ。ちょうど私が退勤しよう帰り際でしたし、時間的にも病院がどこも空いていなかったので、とりあえずうちに連れてきました。なんとか歩いていましたが、話しかけても返事があまりに弱々しかったもので...私の他に誰もいなかったんです。勝手なことをしてすみません」
私は記憶を一生懸命辿って、自分のしたことの大きさに絶望した。
「本当に申し訳ありません...ご迷惑をおかけしました...すぐ出て行きます...」
彼女は少し困ったような顔をして言った。
「あの...今、あなた、とてもまずいですよ?」
彼女はおもむろに体温計を見せてきた。39.8度と表示されている。
「誠に勝手ながら、お休み中に失礼を承知で計らせていただきました。道中只事ではない様子でしたので。」
「...は?」
「気にしないでください、今は起き上がるのも辛いと思いますよ?」
私はその言葉につられて起きようとした、が、腕が少し上がっただけで、情けなくベッドに逆戻りした。
「ほら、やっぱり。いいんですよ、こんな状態じゃ危なくて帰せません。とりあえずここで、明日までお休みになってください。話はその後です」
私は蚊の鳴くような声で頷いた。これはもう仕方がない。
「はい...すみません...」
「じゃあ、水とか薬はもう用意してあるので。おやすみなさい」
彼女はそっと私の頭を撫でた。
少し冷たい手が心地いい。
距離感のおかしさには熱に浮かされて気づけなかった。
私はそのまま、するりと意識を手放した。
もう、あの変な声はしなくなっていた。
12/16/2022, 5:09:25 PM