シオン

Open App

 六時になっていつものようにサルサの部屋にノック音が響いた。サルサが扉を開けると目の前に立っていたのはアリアだったのが、いつもと違うところだったが。
「…………アリア、さん?」
「うん。来ちゃった」
 にこやかな笑顔で言ったアリアはサルサの腕を掴んで部屋の外へと引きずり出した。
「今日の、キミの教育係は、私ってことで。じゃあ、行こっか。まだキミが見たことない景色を見せてあげる〜!」
 テンション高めのアリアに腕を引っ張られ為す術なく着いていくことになる。
 少々遅れたウィルはもぬけの殻になっている部屋を見つめて静かにため息をついた。

「さぁさぁ、こっちだよ〜!」
 エレベーターで二十一階まで一直線で行ってから、色んな曲がり角を曲がる。迷路みたいなその道は、来たばかりで、しかも引きずられるままのサルサには全く理解出来ず、仮に連れていかれた場所で突然置いてかれたら部屋に帰れそうになかった。
「この階段をおりまーす」
 突然立ち止まったアリアは目の前の階段を指さして言った。その階段はこげ茶色のステップにオシャレな黒の装飾が施された手すりであり、先日アリアと会った日常使いされている階段とは全く違った。
「ほら、何ぼーっとしてるの? 早く行くよ〜」
 立ち止まったまま何を言わずに未だ困惑しているサルサの頬を軽く二、三回叩いてからアリアは階段を降りていく。サルサも腕を引かれているので下に降りることにした。
 降りた先はこげ茶色の扉に続いていて、アリアは躊躇いもなく扉を開いた。
 その部屋は他の部屋と比べるととてつもなく狭かった。正面の壁に全身鏡が一つついていて、周りに小さなテーブルと椅子、チェストが置いてあるだけだった。
 全身鏡は金の枠で豪華な装飾がされていて、鏡にも関わらず全く何も映ってはいなかった。
「どう?」
「…………どう、と聞かれましても……」
「まぁ、そりゃそうね」
 アリアは困惑したサルサの声に笑みを浮かべながら若干のスキップを交えて鏡の前へと向かった。
「これはね〜、人間界に行ける鏡なの」
「……え?」
 サルサが驚きながら鏡に触れようとしたとき、後ろからグッと身体を引かれ、鏡へと伸ばした手は空をかすった。
「アリア……」
「……ウィルじゃん。やっぱり自分のを取られるのは嫌なのか?」
 仕事の時の口調へと切り替えたアリアはトゲトゲしく言葉を吐いた。
「……それを見せるのはもっと後でしょう。何を考えているのですか」
「見せたいと思うのは人の勝手だろ。それとも、そうやって遠ざけないと、コントロールもできないと?」
「何をするかも何を考えているのかも、私には分かりませんから」
 ウィルがため息をつきながらサルサのことを見下ろした。
「…………ボクのことですか」
「そーだよ。ウィルは、キミが何をするかも何を考えているかも分からないから、危険になるかもしれないこと全部から遠ざけて洗脳しようとしてるんだって」
「言ってないでしょ、そんなこと!」
 アリアの言葉に対していつもの落ち着いた様子はどこえやらといった雰囲気で彼は声を荒げた。
「…………ウィルさん……?」
 若干恐怖を感じたような声でサルサが問いかけたのに対して、若干苦い顔をしながらウィルは目を伏せた。
「……貴方には関係ないことです。アリア、彼の教育係は私です。余計なことをしないでください」
「……つまんないヤツだ。…………お前も『前はそうだった』のにな?」
「口を慎め!」
 ニヤリと笑って言ったアリアに対して、ウィルは怒鳴るように言った。ウィルに抱きかかえられるようにされていたサルサは間近でその声を聞いてしまい、ビクッと身体を震わせた。
「…………あはは。キミはそうやって私のことを弾圧する過程で、サルサからの信頼を無くそうというわけか」
「そんなわけでは……」
 眉を下げてそう呟いたウィルに対して一瞥した後に、サルサの手を取ってアリアは言った。
「怖い怖いお兄さんがダメって言うから今日は辞めておこうね。また来た時にはちゃんと教えてあげるからね?」
「…………わ、わかりました……」
 困ったような、でも少しだけ安堵したような様子でサルサは答えた。
「…………行きますよ」
「は、はい……」
 サルサの声のトーンは少しだけ下がっていて悲しそうな雰囲気を感じさせた。ウィルは一つため息をついてからサルサの腕を引いて部屋から出ていく。
 一人残ったアリアは、その様子を冷ややかな目で見送ったあとに目を伏せてため息をついた。
「可哀想なサルサ。あんなバカにこれからずっと縛られちゃうんだ……」
 アリアが鏡に触れると鏡面がまるで水のように波だった。
「私が連れてきて、私の下になるんだから、私が面倒見てあげないと……ね?」
 そう言ったアリアの瞳は鈍い青に光っていた。

1/14/2025, 9:00:00 AM