浅木レイはとても印象的だった。
長年教師生活をしていると、どうしても教え子の記憶はばらつきが出てくる。
浅木レイはその中でも一際印象的だったにも関わらず、
なぜ覚えているのかと問われると言葉につまる。
成績が優秀だったわけでも、
手を煩わせる問題児だったわけでもなく、
名前はまあ、純日本人でカタカナ表記かとは思ったが近年の個性的な名前に比べればそこまでのインパクトはない。
正直にいうと、抜群に美少女であったというわけでもない。
濃いエピソードがあったわけでもない。
では、なぜ覚えているのか。
それはもしかしたら僕が国語教師だからかもしれない。
国語オタクというなりの僕は、
見た目にそぐうとおり、元々小説家を目指していた。
教師引退後に経験を元に小説を書き上げたいというのが密かな夢である。
この教師人生でどこを小説の題材として切り取りたいか、
それが“浅木レイ”だ。
とある放課後。
この日は不穏さを感じるような厚い曇り空だった。
見回りの当番だった僕は懐中電灯を持って職員室を出た。
職員室がある校舎に部活動を行う場所がかたまっているので他の校舎は見回り後早めに施錠する。
大体見回りの時には2組くらいまだ残っているので帰るよう促すのだが、この日は誰にも遭遇せずあっという間に施錠になった。
渡り廊下につながる扉を閉めているとザァッと雨の音がした。
少し錆びついていて施錠にコツがいるのだが、今日はまた調子が悪いな、とガチャガチャしている間に雨は止んで土の香りがブワッと上がってきた。
やっと閉まった、と職員室の方へ向くと一瞬の雨にやられた生徒が数名目に入った。
──────その中に浅木レイはいた。
濡れた黒々とした前髪を節の強い骨感のある手でかきあげ、
流れるようにそばかすのある頬の雨を拭う。
薄い一重瞼から伸びた長い簾のようなまつ毛に雫が溜まっているのが光の反射で遠目から見える。
薄い唇をキュッと結び、髪とは違い色素が薄い茶色い瞳がゆっくり下から上へ視線を動かした。
彼女の向こうにはカラスが2羽、1羽ずつ飛び立った。
動いていた視線がこちらを向くまで、ほんの数秒。
この間、完全に僕は目を奪われていた。
もし、僕が美術教師だったなら絵を描いただろう。
もし、僕が写真部顧問ならカメラを向けただろう。
僕の中の芸術性をくすぐる、そんなシーンを浅木レイは一瞬できっと無意識に創り上げたのだ。
あのときのあの一瞬の映像を、
僕は国語教師として、元小説家志望として
どう言語化していくか、どう表現していくか、
きっと、神に試されている。
あの日すぐ原稿用紙に言葉を連ね、書き殴った。
衝撃が走ったあのシーンの解像度が高いうちに。
鮮明な記憶がこぼれ落ちないように。
ただ、それは余計な心配であった。
10年経った今も、驚くほど鮮明な記憶のままだ。
僕は国語教師の人生経験の全てを使って、浅木レイを形に残す。
そのために今日も僕は教壇に立つ。
【通り雨】2024/09/28
9/28/2024, 11:22:10 AM