「夜景」
風が強い日だった。
半開きにした窓から強い風が吹き、カーテンが揺れる。
舞うように、それでいてバサバサと音を立てた。
それと共に、僕の頬にも風があたる。
温かく、強く。少し冷たさを入れて。
隙間から、空が見えた。建物はここから遠くて。
月と、星だった。綺麗な三日月と、満点とはほど遠い、それでも微かに見えるような、星。
優しく、微笑むように、瞬く。
僕のとなりには、君が居た。
家を買った。静かな、質素な家を。
白かった。ほとんど、なにもなかった。ただ、そこは「部屋」という区切りがあるだけだった。
強いて言うならば、大きな窓があったぐらいだろうか。
それでも、買いたくなった。一度そこからの景色を見ただけで、それと決めたほどに。
なにか引かれるかのように、購入した。
ただの、田舎近くの一軒家だ。
屋根があって、三階があって、台所があって、リビングがあって。
それだけ。でも良かった。
そこには「怖い」も「楽しみ」もなかった。
「自分で決めた」という、安堵感だけがたたずんでいた。
今日までは、毎日毎日、同じことの繰り返しだった。
昔買った家具を段ボールへと運び、要らないものをまとめ、捨てる。
段ボールに、ただ詰めるだけ。それだけ。
ほとんど無意識に、作業化した毎日を送っていた。
今日は、新しい家に行く日。否、住む日。
引っ越し業者の隣に座り、静かに景色を眺めていた。
午後3時。着くまではあと、三時間。
ボーッと過ぎていく景色を眺めていた。
横ズレする映像のような感覚だった。かといって、特になにも感じないが。
なぜ、この家を選んだのだろう。
そんな疑問が、頭のなかを横切った。
適当に考え付いたものだったが、確かに自分でも分からなかった。
一度考えたら、根本まで知りたくなる質だ。一度ぐらい考えてもいいか、と思う。
なぜだろう。なぜあの家を選んだ? 一度しか、景色しか、見ていないのに。
否、それは一瞬で分かった。
一度やってみてはまらなかったパズルが、もう一度組み直され、カチリとはまっただけのこと。
それでも、僕にとってはとても重要で、少し息を飲むようなことだった。
僕は、あの景色を一度しか見ていない?
そんなことない。
あの景色は、あの窓から見た景色は、君と見た景色と、とてもよく似ていたんだ。
幼い頃の、お話。
僕は、ずっと家にこもるような子供だった。
誰かが「外で遊ぼう」といっても、行かないような子供。
でも君は、ずっと家にいた僕を気遣いながら、外に出掛けさせた。無理矢理といってもいいかもしれない。
手を引っ張って、外まで出させて。
よく、空き家に行った。誰もいない、誰も来ない、質素な家。
景色を見るためだ。と君は言った。
君に連れられて入るのが、普通になっていた。
今なら不法侵入だ、と言えるぐらいのことだが、あのときにそんなことは知らない。
その家は三階建てだった。あの頃の僕にはそれだけ上るのすら辛くて。
でもそのぶん、そこから見る景色は、絶景だった。
青い空、白い雲。ときには、赤く染まった夕焼けも交えて。綺麗な昼空と朝空だった。
僕らの中に言葉はなかった。
言葉はなくても、それだけで良い。
そんな感覚だった。
僕は、そのあと、引っ越してしまった。母方の祖母が亡くなったためだ。
もともと祖母が体を悪くしたから、あの近くにいたというだけのこと。
でも君には、なにも言えない別れだった。分からなかったんだ。本当に、会えなくなるなんて。
家に着いた。段ボールを何箱か運んで、積み上げる。でも、開けはしなかった。
段ボールを開ける前に、したいことが、あった。
階段に、足を傾ける。ギシギシと、いつか聞いたよりも重い音が鳴る。
着いた、と同時に息を吐いた。三階まで歩いたら疲れるのは、変わらない。
ゆらり、と陽炎が伸びる。
その先にあるのは、窓。
夕暮れだった。ここでは、初めてみる空。
その景色は、いつの日か見た情景と、ほんの少し重なって。
空が、赤く染まっていく。水色は薄まりを見せる。
それは、とても綺麗な、夕焼けだった。
カーテンを閉める。一気に、明かりは消えて。
否、まだ見てはいけないんだ。
このあとに咲く、夜景よ。
それは、また今度。君と、見ていたい。
9/19/2023, 9:23:13 AM