すゞめ

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 洗面台で上機嫌に鼻歌を歌いながら、彼女は身支度を整えていた。
 瑠璃色の澄んだ瞳に黒色のカラーコンタクトを入れる。
 大きな瞳がいつもよりひと回り大きくなって目力が増した。
 青銀の髪の毛を黒いウィッグで隠して、ふわふわの白い睫毛にも黒を足す。
 薄く施したメイクによく似合うフリルのついたブラウスと、グレージュのプリーツスカートはいつにも増してフェミニンだ。
 シンプルな爪には、薄い紫が一色塗られている。

「あー……。リムーバー買うの忘れた」
「せっかく塗ったのに、すぐ剥がしちゃうんですか?」
「だって重たい」
「それはどうしようもないですね」

 淑やかに飾られた爪を、彼女はどこか疎ましそうに見つめている。
 素爪で生活する彼女にとって、マニキュアは違和感が大きいようだ。

「それにイヤでしょ。派手に爪を飾った女」
「そんなことないです。似合ってますよ」

 白々しいと言わんばかりの挑発的な眼差しを向けられたが、少なくとも彼女には当てはまらない。
 爪まで着飾ってかわいいと思ったくらいだ。

「無理しなくていいのに」
「してませんって」

 彼女がどうしてその結論にいたったのか気になるくらいだ。
 ただ、彼女のその言葉で俺ではない別の『誰か』のために着飾っていることが明白になる。

 清楚にまとまっていてめちゃくちゃかわいいけれども。

 そもそも。
 今日の彼女の予定はフリーだったはずだ。
 だからこそ、俺は彼女の自宅に押しかけたのである。
 迷惑そうにするわけでもなく、むしろうれしそうに彼女は自宅に招いてくれた。
 予定が入っているなら教えてほしい。
 1日中彼女をかまい倒せるとウキウキしていたのに。

 普段使いしているシトラスではなく、ウッディ系のコロンまでつけてしまうのだから、ますます胸がざわついてしまう。
 ほわほわした格好で女友だちだけでの集まりならまだしも、野郎が混ざっていたら許せる気がしなかった。

「今日、出かける予定なんて入ってましたっけ?」

 結局、取り繕う余裕なんて持てずにストレートに聞いてしまった。

「あぁ。ごめんね? 昨日の夜に都合つきそうって連絡きてたの」

 夜……。

 彼女の口ぶりからは後ろめたさは感じ取れない。
 だが、就寝の早い彼女と気軽に連絡できる相手が俺以外にもいるのかと、想像するだけで面白くなかった。

「一緒にお昼ご飯食べにいこう?」
「……」

 当たり前の俺の手を取ってぷらぷらと揺らす彼女に、フリーズする。

「は?」
「え?」

 首を傾げる俺に、彼女も首を傾げた。
 パチパチと大きな瞳で俺を不思議そうに見上げる。
 
「俺と、でかけるんですか?」
「一緒に行かないの?」

 むしろ行ってもいいんですか?

 俺はうれしいが彼女のその無邪気さは、相手にとって迷惑にならないのだろうか。

「えっと……その、いきなり俺が混ざっても大丈夫なんですか?」
「わかんないけど、別にいいんじゃない? 説得力が増す」
「説得力、とは?」
「食事ついでに彼氏ができたよってトトとララに改めて報告するの。そっち次第だけど実物見せたほうが早いでしょ?」
「!?」

 トトとララ、というのは彼女のふたりの兄である。
 兄弟水入らずで食事を楽しむ可能性は予想できなかった。
 ふたりの兄の存在は彼女から聞いていたが面識はない。
 結婚を前提に交際を進めているのだから、せめてお義兄様には近いうちにご挨拶をさせてほしいとは頼み込んでいた。
 しかしそれが今日だとは思うまい。

「予約するようなところでご飯食べるわけでもないし、ひとり増えたって平気と思う」

 待て待て待て待て!
 アポなしだとっ!?
 せめて事前に心の準備をっ!?

「……それ、今日じゃないとダメですか……?」
「別に無理はしなくていいけど、次にふたりの予定が合う日、わかんない」

 容赦なく逃げ道を塞がれる。
 ついてこなくてもいいと彼女は言うが、多分行かないとめちゃくちゃ後悔しそうだった。

 俺の胸中など露ほども察していない彼女は、げんなりと眉毛と肩を落とす。

「それに、どっちか分けちゃうとあとが大変なの。大事なことはふたり一緒に報告したほうが平和」

 なんだそれ。

 ……と思ったが、彼らは彼女と遺伝子構造が一番近い存在だ。
 意外と鼻息が荒いのかもしれない。
 心の準備をするために彼女から少しでも情報を得ようと探った。

「どんなお義兄様なんですか?」
「え? どんなって言われてもな? ……うーん」

 腕組みして少し考えたあと、適切な言葉でも思いついたのか今日一番の笑顔を俺に向けた。

「れーじくんみたいな人っ! だから、気は合うんじゃない?」

 かっっっわっっっ!?

 眩くて浄化してしまいそうな天真爛漫な笑みに、俺はもうどうにでもなれと開き直った。

   *

 その後。
 彼女のお義兄様と対面して、彼女が『俺みたいな人』と形容した理由が明らかとなった。
 気は……おそらく合わないだろう。
 彼女が着ていた洋服もお義兄様が用意したものだと知り、嫉妬で狂いそうになった。

 なぜなら俺は、推しのガチ恋拗らせ強火担同担拒否勢である。


『ふたり』

8/31/2025, 6:05:54 AM