赤や黄色に色づいた葉に紛れ、空から白い何かが舞い降りてきた。
手を伸ばし、風と踊るそれを掴み取る。見ればそれは、小さな白い羽根だった。
辺りを見渡しても、この羽根の主は見当たらない。
落ち葉よりよほど軽い羽根。陽に翳しながら見つめていれば、突然駆け抜けた一陣の風に乗り、羽根は空高く舞い上がった。
「――あぁ」
不意に込み上げる感情に、思わず胸に手を当てた。悲しくなどないはずなのに、涙が流れ落ちる。
空を見上げても、あの羽根はもうどこにも見えない。
行かなければいけない。
漠然とした思いに突き動かされ、足は自然と動き出していた。
羽根を追いかけ、風に背を押され、只管に歩いていく。
何処へ向かうのか、何故向かうのか。何一つ分からないままに、それでも足は止まることはない。
視界が悪いのは、涙が止まらないからだ。そのせいで自分が今、どこを歩いているのかも分からない。
涙を拭う。僅かに輪郭を取り戻した世界は、けれどもすぐに滲んでしまう。
涙が止まらない。何故泣いているのかも分からないのだから、止めようがない。
諦めて、もう一度涙を拭おうとした手を下ろす。幸い向かう先は、滲む視界でも分かるほど平坦な道だ。段差や障害物などは全くない。
足は止まらない。風が強く背を押した。きっと向かう先に答えはあるのだろう。
そう思い、ただ前だけを見て歩き続けた。
しばらく歩き、辿り着いたのは寂れた神社の裏手だった。
背を押していた風が止まり、足もまた止まる。
目の前には小さな社。ぼんやりと滲んで揺れている。
ばさり、と。
上から音がした。
見上げれば、大きな白い何かがいた。滲む視界で、白い塊が木々の合間に佇んでいる。
鳥だ。何故かそう思った。
大きな白い鳥が翼を折りたたみ、木の上からこちらを見下ろしている。ずっとこの寂しい場所で、一羽で待っていたのだ。
途端に胸が苦しくなった。息が詰まり、嗚咽が溢れ出す。
何も分からない。分からないのに知っている。その矛盾に目眩を覚えながら、そっと鳥に向けて手を広げた。
ただ抱き締めたい。理由の分からない想いが、鳥《彼女》に触れたいと願っていた。
ばさり、と。
翼を広げて、彼女は静かに社の前に降り立った。
待ってくれている。そう思った瞬間、足は彼女に向けて駆け出していた。
涙を拭いながら、彼女の胸の中に飛び込む。強くしがみつけば、しっかりと抱き返してくれるそれは人の腕だ。
「しばらく会わない内に、随分と泣き虫になったんだね」
静かで優しい声音。微笑む彼女の姿が溢れる涙で滲み、白の鳥に成り代わる。
何か言わなければ。気持ちは焦るが、口から溢れるのは嗚咽のみ。何度もしゃくり上げながら、震える唇と喉を必死で動かした。
「――ただいま」
間の抜けた声に、それでも彼女は笑う。
「うん。おかえり……この言葉が正しいかどうかは分からないけどね」
そう言って、彼女は止まらない涙を拭ってくれた。
泣き疲れた体を横たえ、彼女の膝を枕に赤く染まり出す空を見上げていた。
風が赤や黄色の葉を舞い上げる。ひらりひらりと揺れ、舞い落ちる葉に混じり、白の羽根が落ちてくる。
ふわり、ひらりと羽根が揺れる。無数の羽根が体に降り注ぎ、白に沈めていく。
この羽根は彼女のものだろうか。それとも自分の羽根だったのだろうか。
ぼんやりとする意識で考える。
「帰りたい?」
頭を撫でる手を止めず、彼女は静かに問いかける。
遠い空を見つめ、そして彼女を見る。目を細め、ゆるりと首を振った。
「別に。歩くことには慣れたし、もう飛び方も忘れてしまった」
自由に空を飛んでいた頃の記憶は霞み、涙で滲んでいた世界よりも朧気だ。翼があった所で、二度と飛ぶことはできないのだろう。
羽根が静かに降り積もっていく。仄かな暖かさを感じながら、目を閉じた。
「私は一人でも歩けるよ。だから私のことは置いていっても大丈夫」
精一杯の強がり。ただの意地でしかないけれど、飛べない自分はもう彼女と一緒にはいられない。
「会いに来てくれて、嬉しかった。ありがとう」
「――馬鹿だね」
さよなら、と別れの言葉が音になる前に、彼女は呆れたように呟いた。
目を開けて、彼女を見つめる。こちらを見下ろす彼女の目が、星のように煌めいた気がした。
「素直でないのは相変わらずだけど、一人で完結する癖くらいは直して欲しかった」
彼女の手が視界を塞ぐ。暗闇の中、彼女の声だけが頭の中に響く。
「この場所でずっと待っていた意味を考えて欲しいのだけれど。こうして抜いた羽根で飾り立てている意味もね」
ただ降り積もっているのではなく、飾り立てている。意味が分からず身動げば、体に纏わり付いた羽根が揺れるのを感じた。
ますます困惑する自分に、彼女は静かに告げる。
「黄昏に、境界を訪れることの意味……気づいた所で、もう手遅れなんだけどね」
視界を覆う彼女の手が離れていく。眩しさに目を細めながら見上げた空は、先ほどと変わらない茜色。
気づけば風は止まり、陽は凍り付いたように動かない。
切り取られた時間と空間の中に、彼女と自分だけが存在していた。
「千切られた羽根の変わりならいくらでもあげる。飛び方を忘れたというなら寄り添って飛ぶことだってできる……ここまで言えば分かるよね?」
人として生きることを許さない。そういうことなのだろう。
視界の端で羽根が揺れる。
忘れていた記憶を彼女の言葉が、目が突きつける。
それらから逃げるように目を伏せて、小さく頷いた。
20251025 『揺れる羽根』
10/26/2025, 2:39:20 PM