真岡 入雲

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それが自分にしか見えないと知ったのは、小学校に入学する少し前。

家の庭で遊んでいたら、お爺さんに声をかけられた。
長い白い髭に、少し広い額。そして真っ白な髪の毛。
見た事がない服を着ていたけれど、気にはならなかった。

「坊主、それが見えるのか?」
「坊主じゃないよ、健人だよ。コレね、時々ここにあるんだ。けど触れないの。不思議だよね」

しゃがんだ足元には小指くらいの太さの紐。色は赤。
目には見えるのに、触れることが出来ない。
触ろうとすると、手のひらをすぅっと通り抜けていく。

「そうか、健人。いいことを教えてやろう。それはな普通の人には見えないんじゃ」
「そうなの?」
「あぁ、そうじゃ」

紐の話をすると両親は困った顔をした。
友達には、そんなの見えないと言われた。

「じゃあボクは普通の人じゃないの?」
「そうなるのぅ」
「そうなんだ。…お爺さんも?」

そう聞くと、お爺さんは愉快そうに笑いこくりと頷いた。

普通では無いという、特別感と、お爺さんと一緒と言う、親近感。

「それは人と人の縁を結ぶ紐じゃから、ワシ以外は触れないんじゃ」
「ふぅん?」
「いいか、健人。この紐のことはワシと健人との秘密じゃ」
「秘密…」
「そうじゃ、ふたりだけの秘密じゃ」
「うん、お爺さんとボクだけの秘密!」

ふたりで秘密を共有する、たったそれだけで、お爺さんを無条件で信じた。
良く言えば純真で、悪く言えば単純。

「ふぉっふぉっ、いい子じゃ、いい子じゃ。そうじゃのう、健人、ちょっとこっちへ」

手招きされて、素直にお爺さんのそばへ行く。
すっと右手を握られた次の瞬間、手首にあの紐がぐるりと2周巻きついていた。

「御守りじゃ」
「御守り?」
「あぁ、健人を守ってくれるんじゃ。それとな、あの紐と同じでワシと健人にしか見えん」
「紐と一緒?あれ、でも触れるよ」

そう、触れた。摘むと指の間に紐が存在する。
けれど触っている感覚がない。不思議な感じだ。

「うむ、少々細工をしたからのぅ。切ったりはできぬし、外すことも、外れることも無い」
「ふぅん…うん。ありがとう、お爺さん!」
「どういたしまして、じゃ。では、また会おう、健人」

お爺さんは、ふぉっふぉっと笑いながら去って行った。



「純粋すぎ…いや、子供だったから仕方が無いのか?」

色褪せることも、汚れることも無く、あの紐は今でも右手首に巻きついている。

またあの日以降、何度かあのお爺さんに会った。けれど、会う度に外見が違った。
ある時は、20歳くらいのお兄さんだったり、30後半のイケオジだったり、はたまた俺と同じくらいの年齢の子供だったり。そう言えば金髪の美女の時もあった。
不思議なのは、どんな外見でもひと目であのお爺さんだとわかること。
そしてそれを自分は普通に受け入れている。
流石に、お爺さんではないので名前を聞いた。
だが答えてもらえなかったので、勝手にジンさんと呼ぶことにした。
何となく嬉しそうだったので、良かったんだと思う。

ジンさんとは、2、3言葉を交わして別れる時もあれば、カフェでお茶をしたり、居酒屋で飲み明かすこともある。

「赤い紐…ねぇ…」

赤い紐は今もチラホラと見えている。

都心に出ればそれなりの数の紐が、絡み合うことなく存在しているのを見かける。
そして友達との待ち合わせの時とかに紐を観察していて、わかったことがある。

まずは色。
基本は赤だが、紐によって色味が若干違ったりする。
濃い赤、薄い赤、斑な赤、濃いのと薄いのがシマシマになっていたりと、様々ある。
色味に何か意味があるのかも知れないが、今はまだ分からない。

そして紐の先。
これは例外なく、人の右足首に巻きついている。
と言っても、全部確認したわけではなくジンさんに聞いたら答えてくれた。
それと、巻き付きは1人に対して1本のみ。同時に2本3本の巻き付きは絶対にない。
不思議なのは紐は足首で結ばれているわけではなく、足首に巻きついているだけなこと。
結ばれているのはひとつも見たことがない。
これもジンさんに聞いたけど、答えてはくれなかった。
因みに俺の右手首の紐は結ばれていないけど、他の巻きつきとは明らかに違う。

それから、消失。
文字通り、紐が消える。すぅっと空気に溶けるように。
これは、繋がれた先のどちらかが亡くなると起きる現象のようだった。
事実、祖父が亡くなった時、祖父と祖母を繋いでいた紐が消失する瞬間を見た。

最後に、全員が誰かと繋がっているわけじゃない。
誰かと繋がっていても、その相手が伴侶とは限らない。
これもジンさんに確認済み。
事実、俺の両親は繋がっていないし、従姉妹の旦那は幼なじみと繋がっていた。

紐はあくまでも運命。
その運命に従うか、逆らうかは本人次第。
そして、その選択を観察するのがジンさんの趣味。
ターゲットの近くで観察するのがいちばん楽しいから、ターゲットに不審がられないように外見を変えているらしい。

ただひとつ言えるのは、運命に従った方が幸福になれるということ。
だって、いちばん幸福になれるから繋いでいるんだ、とはジンさんのお言葉。
残念なのは普通の人には、その運命が見えないということ。

「ん?」

俺は自分の右手首の紐をじっと見た。20年変わることの無い赤い紐。
自分の右手だけで完結してしまっている俺はどうなるのだろうか?

「運命って分からないから楽しいんだよ。健人は運命が見えちゃってるでしょ?だからもう、自己完結させちゃったんだぁ」
「え、ジンさん?」

ふへへへっと、締まらない顔で笑ったジンさんは、グラスに注がれた日本酒"赤い糸"を一気に呑み干した。


6/30/2024, 4:42:51 PM