sairo

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白椿の咲く一本の木の前で、一人立ち尽くしていた。
これは夢だ。ぼんやりとそう思う。
記憶にあるそれよりも幾分か小さな椿は、溢れんばかりの白い花を咲かせ。風に葉を揺らし、時折花を地に落とす。
何にも縛られる事のない自由な椿は、何の力も持たないただの椿だった。

「どうか皆をお守り下さい。傷ついた者達に安らかな眠りを与えて下さい」

必死に祈る声が聞こえた。
いつの間にか椿の前に、幼い少女が一人。椿に水を与え、祈っていた。
いくら祈った所で、椿はただの椿だ。そうは思えど口には出さず。少女に習うようにして、椿に祈る。
祈る度、瞬きの度に少女は大人になっていく。やがて少女の姿が消えても、ただ一人椿に祈っていた。


「助けて下さい」

声がして、目を開けた。
椿の前。先ほどとは違う少女が倒れ伏していた。

「助けて」

少女の願う言葉は、椿にではない。
弱りながらも強さを失わない目は、椿ではなくこちらを見ていた。

「どうすればいいの?」

助けて、と言われても、何を求めているのか分からなかった。
誰を助ければいいのか。何をすれば助ける事になるのか。
問いかければ、少女の強い目が迷うように揺れて。

「名前がほしい。このまま消えたくない」

そう言って必死に腕を伸ばす少女に、応えるようにその手を掴んだ。





「目が覚めたか」
「神様?」

目を開けると、彼が奉られている社にいた。
随分と暖かい。彼の腕の中は酷く安心する。
夢うつつに微睡む意識で、彼の胸元に擦り寄った。

「黄櫨《こうろ》。俺の眼を欺くな。お前を失いたくはない」

静かな声に、目を瞬いた。
彼を見上げる。揺らぐ金色が怖れの色を浮かべているのが見えた。

「ごめんなさい、神様」

腕を伸ばし、彼の頬に触れる。ここにいるのだと、どこにも行かないと伝えるように、彼を呼んだ。

「許さぬ。暫くはここから出られると思うな」
「曄《よう》が心配するよ」
「炎が側にいる。問題はないだろうよ」

頬に触れた手に重なる手が、微かに震えている事に気づく。
怖ろしかったのだろうか。彼を一人置いていなくなると思われているのだろうか。
そんな事あるはずないのに。

「あれは黄櫨を求めていた。黄櫨の神になり、呼んでほしかったのだ」

消えてしまった一人きりの妖を思い出す。
妖は妖だ。妖が守る一族にとって式であり、守り神であったけれども、それだけだ。それ以外の者にとっての神には成れない。
それに私の神様は一人だけでいい。

「私の神様は御衣黄《ぎょいこう》様、ただ一人だよ」

言葉にして伝える。彼の金色を真っ直ぐに見つめて微笑んだ。
彼がいい。過去に縋るしかなかった弱い私の手を引いていてくれたから私はここにいる。未来に生きられるように、新しく名前をくれた彼だけが私の神様だ。

「何処にも行かない。離れてもちゃんと神様を呼ぶよ。最初から呼んだのは私だったでしょう。だからこれからも、あの時だって神様を呼べたんだから」

妖の庭で妖と対峙した時、無意識に彼を呼んでいた。
守るように現れた彼の背を見て、本当は泣きたくなるくらいにほっとしたのだ。

「黄櫨」

名を呼ばれる。頬に触れていた手を取られ、指先に彼の唇が触れた。

「どうしたの、神様」

彼は何も答えない。答えの代わりに手が離されて、そのまま彼の手が視界を覆った。
ほんの僅かな違和感と、穏やかで暖かな熱。

「暫し眠れ。怖かったのであろう」

優しい声。それでもどこか憂いを帯びた声音に、彼はまだ不安なのかと思う。
怖いのはきっと神様も同じだ。大丈夫だと言葉で伝えても、不安は消えてくれなかった。
言葉だけでは伝わらないのだろうか。どうすれば彼の不安を、怖れを取り除く事が出来るのか、分からない。

「神様、私はどうすればいい?神様のために私は何が出来るの?」

問いかける。さっき夢で見た少女にしたのと同じ問いを、彼にする。

「名を、呼んでくれ」

ただ一言。
その小さな囁きは、あの椿の元にいた少女達の祈りの言葉によく似ている気がした。

「御衣黄様」

彼の名を呼ぶ。何度も繰り返す。
想いを込めて、只管に。

「御衣黄様。私の名前も呼んで」

彼の名を呼ぶ合間にそう願えば、微かな笑う声と共に黄櫨、静かに名を呼ばれる。
彼が与えてくれたもの。今の私を定めてくれる大切な宝物。
段々と瞼が重くなっていく。緩やかに落ちていく意識の中、夢の中の少女が彼女と重なり、あぁそうか、と理解する。

転校生として彼女と初めて会った時。懐かしいと言われたのは、本当の事だった。
彼女があそこまで私達に心を砕いて動いてくれたのは、彼女に名付けたからか。
昔、椿の元で出会った彼女は、人でありながらも、妖のように消えかけていた。遠い昔、呪に蝕まれた亡くなった祓い屋の、その歪み捻れた魂を取り込んで生まれてしまった彼女は、生まれた時から妖に近い存在だった。
両親からもらった、祓い屋の名の一部である白という名がさらに彼女を不安定にさせ、きっと出会わなければあのまま消えていたのだろう。
名がほしい、と彼女は願った。存在を確かにするために。
だから差し出した。忘れ去られ、消えていくだけの名を。

「封が大分解けてしまっているな。それ以上思い出すな。お前は今、黄櫨なのだから」

眠れ、と今一度彼に促され、思考が解けていく。
目が覚めれば、二度と思い返す事もないのだろう。

「お前には俺がいる。孤独に彷徨った過去などいらぬだろう」

途切れる意識の間際。
それでも確かに聞こえた救いのような彼の言葉に、泣くように微笑った。



20241122『どうすればいいの?」

11/22/2024, 11:16:03 AM