「どうして」
「ごめんね」
問いかければ、眉を下げ困ったように微笑みながら謝られる。
謝ってほしいわけではなかった。逆に謝らなければいけないのは自分の方だったのに。
恐る恐る触れる指先は、氷のように冷たくて。
泣きたいのは彼なのに、どうしても泣く事を止められなかった。
「泣けよ。泣いてくれよ」
しゃくり上げながら願っても、彼は微笑んだままだ。
「泣きたいのはお前だろ!なんで」
「ごめんね」
謝る声に、違う、と唇を噛みしめる。
彼は泣かないんじゃない。泣けないのだ。
自分が、そうした。
昔、泣き虫だった彼に、泣くなと何度も言い聞かせた。
彼を庇って事故にあった時だって、目の前で泣き続ける彼に対して泣くなと言って。
自分のせいだ。
あの時から彼が泣いた所を見た事はなかった。
「俺が悪かったから。なあ、だから泣いてくれよ」
ごめん、と彼がまた繰り返しそうになるのを、手を強く握る事で止める。
「こんな時くらい泣けよ。泣かないんだったら、諦めないでくれ。生きる事を、そんな簡単に笑って諦めるな」
無茶を言っている自覚はある。
呆れるくらい我が儘なのも分かっている。
泣くなと言い続けてきたのに、今更泣けなどなんて酷い事を言っているのか。
それでも願わずにはいられなかった。彼が怒らない事に甘えて、ひたすらに泣いてくれ、と繰り返した。
「泣かないで」
静かな声に、肩が跳ねる。
恐る恐る見上げる彼の表情はとても穏やかだ。それがとても悲しくて、また涙がこみ上げる。
「ごめんね。でも泣きたいとは思わないんだ」
「それ、は。俺がっ」
「ううん。今ね、本当に穏やかなんだ。僕のためにこうして泣いてくれる親友がいて、最期まで一人じゃないのがすごく幸せで」
だから泣けないのだと。
幸せそうな笑顔に、何も言葉が出てこない。
「でも何だかすごく不思議。泣いてくれるのがとても嬉しいって思うのに、それと同じくらい泣いてほしくないって思ってる。あの時、泣くなって言われたのはこんな気持ちだったからなのかな」
笑顔のまま彼は首を傾げる。
違うのだと、言ってしまえればよかった。あの時のはただの八つ当たりだったのだから。
二度と会えなくなるかも知れない事に、不安で、怖くて。
だから今のその、優しい気持ちでは決してないのだと。
けれど伝えようとしても、口から溢れるのは泣く声ばかりで。違う、の一言すら出てはこない。
「泣かないで」
柔らかな声が繰り返す。
冷たい指先が、涙を拭っていく。
「もう僕の事は忘れていいよ。今の涙だけで十分なんだ。これ以上はもっと、って夢を見たくなっちゃう」
「いいじゃん。夢、見ろよ。諦めないでくれよ」
諦めないでほしい。
そのために出来る事があるならば、どんな事だって協力するのに。
そう思いを込めて見上げれば、彼はやはり困った顔をしながら笑った。
「俺。頑張ったんだ。もう二度と歩けなくなるかもしれないって言われて、すごく怖かった。でも、もう一度お前の隣に立ちたかったから、頑張ったんだよ」
「うん、知ってる。僕のせいなのに何も出来なくてごめん」
「謝ってほしいわけじゃない。でも俺に悪いって思うんなら、諦めるなよ」
酷い言い方だ。これでは脅しと変わらない。
けれど仕方がない、と。笑って諦めてしまう彼を繋ぎ止めるのなら、手段を選ぶつもりはなかった。
睨むようにして彼を見る。
冷たい手を、強く握った。
「諦めなくても、元通りにはならないんだ。たぶん一生このまま。もう隣に立つ事は出来ないんだよ」
「じゃあ、会いに来るよ。元通りでなくてもいい。足りないなら、その部分を俺が補うから」
息を呑む音がした。
笑顔が崩れて、ようやくくしゃり、と泣くように顔が歪む。
「駄目だよ。それじゃあ、僕に縛りつける事になる。それは嫌だ」
「一緒にいたいんだよ。嫌なんて言わないでくれ」
泣きそうな顔をしながら、彼は首を振る。
嫌だ、と繰り返す彼に、どうして、と縋り付いた。
「だって諦めない限り、不安になるよ。明日が怖くなる。もう会いに来てくれないかもしれない、って考えるだけで、苦しくて。離れられなくなる」
「そんな事ない!絶対に会いに来る。誓ってもいい」
彼の小指に、小指を絡める。
指切り。こんな子供だまし、約束にもならないのかもしれないけれど、これしか伝える方法を知らなかった。
「なんでそこまでしてくれるの?僕、奪ってばっかなのに」
ぽつり、と。呟いた彼の言葉に、目を瞬く。
彼は自分から何か奪っていっただろうか。思い返しても、記憶にはない。
「なんでって…俺ら親友だし。ライバルだし。奪われた事もないし」
「足。奪いそうになったよ。それから、時間」
確かに。理解はしたが、納得は出来ず。
奪われたつもりはない。戻るために諦めなかった時間も、そしてこれからの時間も、自分で決めて選んだ結果だ。
「馬鹿。そんな変な事考えているなら、いっそ泣いちゃえよ」
泣きそうな顔をしながらも涙を見せない彼に、笑って告げる。
「俺はこれまでも、これからもお前を一人にしない。絶対にだ。だからお前も諦めるな」
涙のない彼の目を見て、はっきりと言葉にする。
泣くように笑う彼は、やはり涙を流さなかった。
「酷いな。でもそこまで言われたら仕方ないや。もう少し、頑張ってみるよ」
「おう。頑張れ。それで泣いてしまえ」
「泣かないよ。目の前でずっと泣かれると泣けないものだからね」
くすくすと笑う声。
涙を拭う指が、自分がまだ泣いていた事を教えていた。
「泣かないで。会いに来てくれる限りは頑張るから」
「分かってる。泣き止むから、そしたらちゃんと泣けよ」
目をこする。それでも止まる事のない涙に。
彼が声を上げて、楽しそうに笑った。
20241201 『泣かないで』
12/1/2024, 10:41:57 PM