薄墨

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賽の河原の石積みだ。
終わらない問いに向き合うということは。

積み上げても積み上げても、そのうち、反例や理解できない事象が現れて、新しい環境や条件がつけ加えられて、常識に囚われない新たな知見が現れて、それまで万全だった“仮説”や、それまで当たり前だった“定説”は脆くも崩れ去ってしまう。
科学だって、哲学だって、芸術だって、そうだ。
全ては変化し、揺れ、崩れ、また新たに積み上げられる。

地球にだって、宇宙にだって、終わりはあるのだ。
そうして終わった世界の中で、また何かが起きて、現象という名の石が少しずつ積み上がって、また崩れて…。

そんなうねりの中に、私はいた。
星に築かれた文明は終わり、太陽系は際限なく引き延ばされて、ちっぽけな私たち生命体は、なすすべなくプレスされて、輪郭も境界も曖昧になり、しまいには何千かある時空の歪みの一つになった。

そして、私たちの反射する屈折した光は一万光年先の銀河系に届いているらしい。
信じられないことに、私たちは、別の星から見た夜空の星になったのだった。

きっと私という星が観測できる惑星には、今でも文明があるに違いない。
そして、そこらの文明人(?)は、私と他の星を繋いで動物や物に見立てたり、的外れな物語を作ったり、星の光の美しさを見当違いに讃えたり、祭ったり、或いは、この星がなんであったのかを研究し始めているかもしれなかった。

彼らは、賽の河原の石を、それとも知らずに慎重に積み上げているのだ。
無邪気な、幼くして亡くなった子どもの、まだ世界の際限を知らない魂だけが行える、好奇心のままの行動で、終わらない問いに向き合うことで。

ゆっくり、慎重に、ちっぽけな生命体は、終わらない問いを考え、積み上げる。
それがいつの日か、理不尽な“鬼”によって崩されることも知らずに。
そうしてまた、別の誰かが、遠い未来の誰かが、それをもう一度積み直すことも知らずに。

私は、宇宙の片隅で、歪みのまま、光を放っている。
今日も、広い宇宙、広い世界中のどこかで、終わらない問いの答えが考えられている。

終わらない問いに向き合うということは。
賽の河原の石積みだ。

10/26/2025, 2:05:21 PM