わたあめ。

Open App

「ただいま。」

ドアのバタン、と閉まる音ともに聞こえてくる心地の良い低音。

玄関へパタパタと足を運べば、そこには愛おしい人。

『おかえりなさい。遅かったですね。』

声をかけても顔色一つ変えずに頷くだけ。
差し出されたカバンとコートを受け取り、一緒に居間へと向かう。

『何処か行っていたのですか?』

「……少し、寄り道をな。」

『そうでしたか。』

こう話しているうちに、彼は器用にネクタイを解きワイシャツのボタンを外している。

『ご飯にします?それともお風呂がいいですか?』

「……風呂。」

ボソッと呟くと、そのままお風呂場へ入っていった。

(いつもご飯が先なのに……珍しい。)

そんなことを思いながら、ワイシャツを洗濯カゴへ入れ、コートやカバンを片付けた。



結婚して二十五年。
子供も成人して独り立ちしていった。
あとは夫婦でゆっくり余生を過ごすだけ。

寡黙な旦那との馴れ初めは、友人の紹介からだった。
恋愛にとんと疎い私を見兼ねてのことだったのだろう。

初めは年上相手に何を話したらいいのか分からず、戸惑ったものだ。
だけれど、私のたわいもない話を黙って聞いてくれる姿に何処か安心感を覚え、気づけば想いを募らせていった。

そんな彼からプロポーズを受けたのは、交際を始めてから三年の記念日であるホワイトデー。
好きな方からの申し出を断る選択肢は、私の頭にはなかった。


そう、今日三月十四日は付き合った記念日でもあり、結婚記念日。

お祝いしている訳では無いが、毎年ひっそりと美味しい料理を作って食卓に出していた。

夫からはもちろん何も無いが、それを不満に思ったことは無い。少し寂しくは感じるが、日常生活の節々で大切にされているのは分かっているので、それで十分。

好きな人と家庭を持てて、私はとても幸せだ。


(……夕飯食べて帰ってきちゃったのかしら。そしたらこのご飯はどうしましょう。)

机に出していた茶碗を食器棚を戻し、作った料理と睨めっこをしながら悩む。

寄り道、だなんて珍しい。
余程お腹がすいて定食屋にでも入ったのだろうか。
趣味で買い物などをするような人でもないので、きっとそうだろうと考えるのを辞め、作った料理の処分に頭を使うことにした。

『お隣さんにでもおすそ分けしようかしら……』


ガチャ。

お風呂場の扉が開き、夫が出てくる。

『あら、温まりました?』

「……あぁ。食器片すのか?」

『え?えぇ。何処かで食べてきたのでしょう?』

「いや?何も食べてないが……」

思考が停止する。
ん?じゃあどこに寄り道を……?

『あ、そうなのですね。じゃあ食事用意しますね。』

疑問が湧いたが、とりあえず食事の準備をすることにした。


『どうぞ。』

コトリ、と食器を置いていく。
今日は久しぶりにビーフシチューを作ってみた。
ロールパンも買ったので、一緒に並べる。

『ごめんなさいね。寄り道をしたと言ったものだから、てっきり食べて来たものだと。』

「え、……いや、それは……だな。」

夫が困ったように頭を搔く。
あまり見ない顔をしていたので、思わず凝視してしまう。

「……変に隠すのは、らしくないな。」

そう言うと同時に席を立ち、部屋へ歩いていく。
すぐに戻ってきたと思ったら、手には包みが。

「これを買いに行ってたんだ。」

『それは……』

包装で分かる。私の好きなアクセサリーショップのものだ。ぎこちなく差し出してきたそのプレゼントを、そっと受け取る。

「その……君が付けていそうなのを選んだんだが……」

『会社帰りに寄ったんですか?』

「あぁ、閉店間際だったんだが、快く対応してくれたんだ。優しい店員さんだったよ。」

ゆっくり包装を剥がせば、そこにはまた小さな箱。
パカッと開けると桜のブローチが。

『可愛らしいですね。』

「これからの時期に丁度いいかと思ってな。」

『ありがとうございます。でも急にどうしてこんな……』

夫の顔を改めて見ると、少し赤い。
コホン、と咳払いをすると、再び口を開いた。

「俺は……言葉が少なすぎると、この前……栞菜(かんな)に言われてだな。」

『栞菜に?』

栞菜は私たち夫婦の一人娘。
今は社会人として働きながら、一人暮らしをしている。

「毎年、バレンタインデーにお菓子を作ってくれたり、ホワイトデーに料理を作ってくれているだろう。」

『そうですね。まぁでも、あれはほぼ趣味というか……』

「そうだな。でもいつも美味しいものを作ってもらって、温かい風呂や安心できる場所を守ってもらっているのにもかかわらず、礼のひとつも言えてないのはな。」

『それはでも、』

「陽子」

あなたの稼ぎがあってこそ、と言おうとしたと同時に名前を呼ばれる。

ふと見た修也さんの顔は、とても真剣な顔をしていた。


「いつもありがとう。これからも、どうかそばにいてくれ。」


プロポーズの時と変わらない、私を真っ直ぐ見つめる瞳。
話すことが苦手なあなたの事だもの、きっと沢山悩んだ事でしょう?
このブローチも店員さんとどれだけ悩んだのかしら。
色々な思いが巡って、愛おしさが胸に溢れていく。

「陽子?」

頬に一筋の涙が伝った。
そこで初めて、自分が泣いているのだと気づく。

修也さんは、どうしたらいいのか分からず固まってしまったけど、それがまた愛らしい。

手でサッと涙を拭い、今度は私から見つめる。


『もちろんです。ずっと隣に居させて下さいな。』


#ずっと隣で

3/14/2024, 9:18:25 AM