それは息を呑むほどに美しかった。
山の少し冷えた空気、肌を撫でる風、うっすらと白み出した空。木々が微かに音を立ててその身に何千と伸ばした葉を揺らす。まだ新しい朝露が葉の緩やかなカーブに沿って伝い落ち大きな雫となって地面へと落ちた。まるでそれを合図にするかのように、遠くの山から後光のように陽の光が一筋こぼれ出る。その光をなぞるかのように、空高く一羽のカラスが舞い上がった。
「 あぁ、今日も朝が来た 」
ただその景色に見とれていた僕の頭上から聞き慣れない声がする。実態の無いような、透き通るような柔らかい声。辺りを見渡してもその主は見当たらない。
「 ほう。声が聞こえるか 」
興味を含んだその声は今度は耳のすぐ後ろで聞こえる。振り返っても姿は見えず、しかしそこに薄い布が揺蕩うのが見えた。水面の揺らぎのように緩やかに風に揺らめいている。手を伸ばすも触れられず、しかし不思議と手には微かな温もりを感じた。
「 …誰? 」
得体の知れない相手だが何故だろうか全く怖くない。不意に笑ったように感じた。頬にそっと何かが触れる。
「 いつかその瞳にこの姿が映った時に教えてやろう。その時を楽しみにしているぞ 」
空気に撫でられるような感覚。そしてふわりと香る藤の甘い香り。と次の瞬間、強い風が一気に吹き上がり布が舞い上がる。その行方を追いかけ思わず空を見上げると、太陽の光が夜を照らして一面に美しいグラデーションを作り出していた。徐々に肌に当たる空気の温度が上がっていく。あの声の主にまた会える気がするのは、この美しい朝のせいだろうか。そしてその時には、その姿がはっきりと見えるのだろうか。
「 …朝が、来た 」
全てを投げ出そうとしていた。一番美しいと思ったものを見て最期にしようと。そんな心の内を見抜かれていたかのように、また会う約束をされた気分だった。姿も正体も分からない。けれど温かく見守るような優しさを感じた。
ひとつ、息をついて大きく伸びをする。見守ってくれるなら、また会えるのなら、もう少しだけ頑張ってみようか。
4/21/2024, 7:51:38 PM