何度でも繰り返す。
過ちでしかないと知りながらも、今更止める事など出来はしない。
「なぜ」
その言葉を何度繰り返したのだろうか。
目の前の、黒の塊に触れる。
力を入れずとも形を崩して風に舞う黒を、ただ目で追いかけた。
大切だったはずの。守らなければいけなかった者。
先を永遠に失って、過去にしかなれない骸。
「また駄目か」
呟いて、目を閉じる。
失敗した結果に心を動かされる事は、疾うになくなった。繰り返す事にも慣れている。
望む結果が得られるまで、おそらく何度でも同じ罪を犯し続けるだろう事は、誰よりも己が一番知っていた。
目を、開ける。
焼け跡など、欠片も残さず。
記憶の中にある、いつもの家に戻った事を確認して、その玄関扉を開けた。
穏やかな表情をして、うたた寝をする妹に触れる。
体を痛めてしまわぬようにと、そっと抱き上げれば縋り付く無意識の行為に、笑みが浮かぶ。
保護者としては、寝るのならば部屋へと戻るように起こすのが最良だろう。だが兄としては、こうして無意識ながらに頼られる事を期待して、つい甘やかしてしまう。
贅沢な悩みに、浮かべた笑みに僅かばかりの苦さを乗せ、妹の部屋に入るとベッドへとその華奢な体を横たえた。
顔に掛かる髪を払い、今は瞼に閉ざされた瞳を思う。
かつて、体だけを戻そうと繰り返していた時には、最後まで戻る事のなかったものだ。
今と方法は違えど、あれが繰り返しの最初だった。
己の一時の激情に流され、妹を失った事があった。
その理由は覚えてはいない。平静を取り戻した時にはすでに、彼女は人の形すら留めてはいなかった。
己が殺したのだ。他人事のように、呆然とする意識がその事実を認識し。
治さなければ。壊れ始めた自我が判断した。
そうして亡骸を掻き集めて、妹の新しい体を作り始めた。
最初の体は、人の形すら取る事が出来ず。耳障りな叫び声を上げながら逃げ出した泥の塊を、二つに切り落とした。
次の体は、足こそ人の形になれど、自らの意思で動く事はなかった。泥の上半身が床を這いずり回るのが不快で、その背を踏み潰した。
足、腕、胴、首、頭。
切り捨て潰し、新しく作り直す度に、人の形に近づける事は出来た。だが、その度に体は意思をなくしていった。
力なく投げ出された四肢は、まるで人形のようだ。
それでも良かった。
すでに壊れていた己の救いは、妹しかなかった。
動けずとも、そこに在れば救われていた。
形があれば、それだけで良かったのだ。
「なぜ」
しかし、その形すら完成する事は終ぞなかった。
瞼を開ければ、その瞬間にどろりと溶け出した瞳が、まるで涙を流しているかのように流れ落ちていく。
その不完全な眼が。流れ落ちていくその様が、新しく作られていく事を拒んでいるように見えた。
「なぜ、泣く」
眼を拭い、問う。
答えが返らない事は知っている。
首が正しく出来たその時から、あの耳障りな声は失われてしまった。
それでも、問わずにはいられなかった。
「…に、さん…?」
「あぁ、起きたね。おはよう」
瞼が震え、目が開く。
まだぼんやりとしている瞳が、溶け出す事はない。
「お、はよう?」
「いい加減、ソファで寝るのは止めなよ。眠くなったなら、ちゃんとベッドに行って」
形ばかりの注意に、妹は頷きながらも気まずげに目を逸らす。
「眠くなったらの前に寝ちゃうんだから、どうしようもないよ」
「なら、最初からベッドに行ってて」
「いじわる」
呟いて、欠伸が漏れる。
僅かに溢れる涙が、いつかを思い出させ。知らず手が伸び、滴が落ちる前に掬い取った。
「兄さん?」
「…夕飯まで寝てる?寝ないなら、顔を洗ってきた方がいい」
「……起きる」
少しの逡巡の後に、妹はベッドを抜け出し部屋を出た。
ふっと、息を漏らす。
強く握りしめていた、涙を拭った手とは違う手を開けば、赤い滴が滲んでいた。
繰り返す事には慣れている。
だが、段々に目的が繰り返す事に変わっている気がして、苦しさを覚えた。
忘れられないからだろう。
妹を戻すために、繰り返し妹を壊した事を。
忘れてしまえば、こうして涙を見る度に壊してしまいたくなる衝動はなくなるはずだ。
けれども、忘れてしまったのならば。
繰り返す理由を失って、取り戻すために作り上げたこの家は崩壊していくだろう。そうなれば、二度と妹は戻る事はない。
手を握り、息を吐く。もう一度手を開けば、滲む赤は炎へと変わり、一瞬に燦めきを残して跡形もなく消え去った。
忘れたい。忘れる事は出来ない。
いつかの妹が言った言葉を思い出す。
――人形遊び。
確かにそうだ。これ以上に適切な言葉はないと自嘲する。
あの妹はどこまで覚えていたのだろうか。
最初の体は何度も作られ、壊されて。新しい生ですら、こうして拐かされて、繰り返すための家に囚われている事を知っていたのか。兄と慕う己が、人でなくなっている事に気づいていたのか。
今となっては、知る事など叶わない事ではあるけれど。
「どうしたの、兄さん」
戻ってきた妹が訝しげな顔をする。
それになんでもないと首を振り。
「今日の夕飯は何にしようか」
兄として、優しく妹に笑いかけた。
20241028 『忘れたくても忘れられない』
10/18/2024, 9:56:04 PM