かたいなか

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「6月頃に『狭い部屋』ってお題なら書いたわ」
エモい話を、書けないこともない。某所在住物書きはカキリ小首を鳴らし、ため息を吐いた。
静寂には複数の色が存在する。
痛い、気まずい、穏やかな、あるいは感動的な。
いずれにせよ、夕暮れの部屋を舞台に主人公ひとり、あるいは友人とふたりで、何か酷く悩ませれば良い。
沈黙はスパイスとなるだろう。

「でも不得意なのよ。エモネタ。納得行くハナシ書こうとすると投稿16時17時になっちまうし……」
ぽつり。物書きは弱点を吐露し、物語を組む。

――――――

中秋の名月の東京、都内某所、某アパートの一室。
部屋の主を藤森というが、18時頃は少なくとも月の見えていた窓を背に、
月見の餅を置いたテーブルを挟んで座って、
「げんせーな、シンサの結果、」
向かい側では、不思議な不思議な子狐が、コンコン、言葉を喋っている。
「今年の『狐のお嫁さん』は、おとくいさんに決定となりました」

テーブルの上の餅を、商品として持ってきた子狐は、ご利益豊かな稲荷神社の神使。
善き化け狐、偉大な御狐となるべく、餅を売り、人を学んでいる最中。
藤森はこの不思議な餅売りの、唯一の得意先である。
目の前で狐がものを言う珍事に、藤森はいつの間にか慣れてしまった。
しかしそれでも解せぬのが、今晩の新出単語。
「狐のお嫁さん」とは?

「……」
素っ頓狂な藤森の、開いた口は開きっぱなし。目はパチパチ、まばたきを繰り返す。
藤森の無言が、痛い静寂を部屋に呼び込んだ。

「ユイショ正しい、古くから伝わるギシキなの」
コンコンコン。
子狐の補足は相変わらず、分からない。
「狐のお嫁さんは、ウカノミタマのオオカミサマの化身役なの」
なんなら、下手をすれば本人、本狐もよく理解していないのだ。
小さなメモ帳の、明らかに大人が書いたであろう文字を、目で追いながらのコンコンであったから。
「稲刈りが終わりに近づく、9月最後か10月最初の満月の次の日、十六夜の夜に、キツネのととさんと、ケッコンするフリするの」
藤森の理解と状況把握を置き去りに、子狐はただ、しゃべる、しゃべる。

「稲荷神社で、ケッコンして、誓いのおさけ、イッコン傾けるの。ウカサマの化身役のお嫁さんは、たくさんのお料理と踊りで、オモテナシされるの。
お料理と踊りで満足したお嫁さん、ウカサマ役は、最後に満足して、『来年も、商売繁盛、五穀豊穣』って言うんだよ。
ととさん、ヨシュクゲーノー、『予祝芸能の一種』って言ってた」
理解が迷子。説明が為されているのに脳内が静寂。
藤森はただポカンであった。

「何故私なんだ」
「げんせーな、シンサの結果なの」
「狐の、『お嫁さん』だろう」
「ウカサマ、美人さんなの」

「私のどこが『美人さん』だって?」
「あのね、おとくいさん。
おとくいさんは、3月1日の1作目投稿から今日の最新作まで、たったの1回も『男』と明言されてないし、『女』とも断言されてないし、『彼』とか『彼女』とかも、一切特定されてないんだよ。
だからおとくいさんは、男かもしれないし、女かもしれないんだよ」
「は……?」

駄目だ。理解が追いつかない。
こういう時に振るという◯◯値チェック用のダイスとやらは何処だ。
藤森は完全に頭の中がパンク状態。
満月が雲で隠れている空を背負い、頭を抱えて、大きなため息を吐く。

「……謹んで、辞退させて頂く」
ただ選任拒否を述べ、再度息を吐いて、思考タスクの過負荷で重くなった頭と視線を子狐に向けると、
「じたい……?」
今度は子狐の方が、口をパックリ開け、固まった。
おいしいお料理、いっぱい、食べないの……?
驚愕に見開かれた狐の目が、声無く藤森に訴える。
双方無言が続き、藤森の部屋は再度静寂に包まれた。

9/29/2023, 3:11:05 PM