『ルール』
彼女と俺とでは住む世界が違う。
俺にとっては、彼女と出会えたことすら奇跡とすら感じていた。
そんな彼女と恋人という関係に進展したあと、俺の大学卒業という一大イベントを利用して同棲を始める。
他人との共同生活に慣れているせいだろうか。
プライベート空間に俺という異物が紛れていようが、彼女は器用に振る舞ってその存在を受け入れていた。
緊張の糸を張るほどでもないが、完全に緩んでいるわけでもない。
彼女は俺に甘やかされてくれるし、繊細で柔らかな心にも触れることを許してくれた。
一方で、頑なに触れさせてくれない場所もある。
絶妙に不安定な彼女の心を土台に、俺は恋という感情を植えた。
容赦なく水をあげ続け芽が出てきたところで、同棲という肥料を与えて彼女の逃げ場を塞ぐ。
遅かれ早かれ、いつか彼女は限界を迎えるはずだ。
どうせダメになることがわかっているのに、せめて彼女がのびのびと過ごせるように共同生活にあたっての大雑把なルールを決める。
悪あがきにしかならないが、少しでも彼女側にいたいと願う俺にできることなど、たかがしれていた。
具体的には家事や生活費のやりくり、レシートや領収書の整理である。
彼女にとって煩雑な部分は全て俺が引き受けた。
「ねえ」
しかし、今。
絶対零度の眼差しで俺を睨みつける彼女によって、新たなルールが追加されようとしていた。
「今後一切、こういうことするのはやめてくれる?」
「…………はい……」
甘く幸せの余韻に浸るはずのピロトークは、彼女の冷ややかな声で崩れ去る。
ベッドの上で全裸で正座する俺をよそに、彼女は脱ぎ捨てられた服を素肌の上に纏っていった。
*
ことの発端は1時間ほど前に遡る。
互いに理性を溶かし合っていたときに、突如、俺の携帯電話が鳴り響いたのが原因だ。
集中力を欠いた彼女が電話に出ることを許してくれたから、俺はそれに応じる。
そこまではよかった。
おそらく、繋がったままの状態で、俺が赤の他人と会話したこたがよくなかったのだろう。
携帯電話を投げ捨て、仕切り直しと言わんばかりに心ゆくまで彼女の体温を堪能した。
その後、ベッドに雪崩れ込もうとしたタイミングで、彼女は強引に理性をかき集める。
「おい、そこ座れ」
「はい」
彼女の怒りの原因に心当たりしかない俺は、すぐさま正座をした。
それが今である。
「そもそも、あなたが電話に出ていいって言ってくれたんじゃないですか」
「だって!? ……ぬ、抜いてくれると思ったんだもんっ!」
「なにをですか?」
あんまりにもかわいく照れるから、言わせようと欲張ったバチが当たった。
ドゴンッ、とそこそこ本気の力で小突かれる。
「あだっ!」
「……」
これも彼女の愛の重みだと都合よく変換して受け止めた。
「ちゃんと約束して」
「わかりました」
俺の返事に満足した彼女は俺に背を向けて、薄手になったばかりの毛布に包まった。
彼女の気がすんだところで俺も隣に潜り込む。
「あ、あと……さ」
そっぽを向いてしまった彼女を抱き寄せるために腕を伸ばしたとき、手の甲の皮膚を指で摘まれた。
「……な、なんでしょう?」
まだなにか言い足りないのか、どこかふてくされた彼女の声音に冷や汗が流れる。
「できたら、き、キスもちゃんと、してほし、い……」
「わかりました。って、あー……?」
あー……、あぁ?
あああぁぁーーーー……??
言われてみれば、確かに?
「今日は途中から、してませんでしたね?」
そっぽを向いたままいじけている彼女の耳は、真っ赤に染まっている。
にぎにぎと俺の手を握る彼女の指先はまだ熱いままだった。
俺は、そのいじらしく赤くなった耳朶を食む。
「でも、そっち向いてたらできませんよ?」
「み゛ゃ!?」
弱い耳を刺激されて、勢いよく振り向く彼女の唇をそのままさらっていく。
うれしそうに俺の唇を受け止める彼女を、俺はもう一度跨った。
4/25/2026, 12:12:28 AM