sairo

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しとしとと、雨が降っている。

「まただ……」

空を見上げ、息を吐いた。足早に部屋を出て、玄関に向かう。
外に出た瞬間、鼻腔を掠める雨の匂い。部屋で見た時よりも強さを増した雨に、眉を寄せながら傘を差す。

「急がないと」

呟いて、雨の降る道を駆け出した。
ぱたぱた。雨が傘を打つ。
ぱしゃん。急ぐ足が、地面に溜まる水を跳ね上げた。
足元が濡れることなど気にならない。それよりも少しでも早く、彼女の所へ行きたかった。

何故ならば、この雨は泣かない彼女の涙なのだから。



「いらっしゃい。今日はどうしたの?」

ふわり、といつものように彼女は微笑む。
その頬に涙の跡はない。けれどよく見ると、彼女の笑顔の奥にほんの僅かに悲しみが隠れているのが感じられた。

「何となく会いたかったから」

へにゃりと笑って誤魔化した。
どこか不思議そうな顔をしながらも、彼女は何も聞くことなく部屋に招き入れてくれた。

「いつの間にか、雨が降っていたのね。気づかなかった」
「そう?あまり強くない雨だからかな」
「あなたはいつも雨の日に来てくれるのね」

くすくす笑いながら、彼女は部屋を出ていく。
しばらくして、彼女は手にティーセットを乗せたトレーを持って戻ってきた。
香る紅茶とレモン。角砂糖は二つ。目の前に置かれたティーカップを、そっと両手で包み込んだ。
伝わる熱は、きっと彼女の優しさだ。カップに口を付けながら、こっそりと窓の外を見る。
雨は止んだようだが、まだ曇り空。彼女の心模様は晴れてはいないようだ。

「おいしい」
「よかった……いつも、ありがとう」

微笑む彼女に、首を傾げた。礼を言われる理由が思いつかなかった。

「寂しかったり、悲しかったりすると、いつもあなたが来てくれるから」
「寂しくて、悲しかったの?」
「少しだけね……この家は、私には広いから」

そう言って、彼女は目を伏せた。
悲しげな表情。それでも彼女は、泣くことをしない。
外ではまた、雨が降り出している。彼女の代わりに空が泣いている。
カップを置いて、そっと彼女の手を包み込んだ。
温められた手の熱が、彼女の冷えた手へと移っていく。驚いたように顔を上げた彼女と目を合わせ、笑ってみせた。

「寂しいなら、連絡してよ。すぐに飛んでくるからさ」

彼女の悲しみは、自分では埋めてあげることはできない。泣かせてあげることだってできはしない。
けれど隣にいることくらいはできると、そう思いを込めて彼女を見つめた。

ふふ、と彼女は笑う。
そこに悲しい感情はない。嬉しそうな、とても楽しそうな顔をして、優しく頭を撫でてくれた。

「呼ぶ前にいつも来てくれるのはあなたの方じゃない……本当は、会いたいなって連絡しようかと悩んでいた所だったの」
「そっか……じゃあ呼ばれるまで、家の外で待っていればよかった」
「そこまで来たなら、待つ必要なんてないでしょ」

呆れたように、彼女は溜息を吐いた。
確かにそうだ。連絡をして数秒後にインターフォンが鳴ったら、驚くどころの話ではない。
少しだけ恥ずかしくなって、彼女から目を逸らす。誤魔化すようにカップに手を伸ばし、レモンティーの香りを吸い込んだ。
ふわりと立ち上る湯気の向こう側。窓の外で様子を伺う雨が、静かに離れて雲に帰っていく。雲の切れ間から光が差し込んで、僅かに青を覗かせている。

「雨、上がったみたいね」
「そうみたい」

レモンティーを飲みながら、横目で彼女を見る。同じようにカップを手に窓の外を見る彼女は、眩しそうに目を細めていた。

「ただの偶然なんだろうけど」

穏やかな声音。空へと視線を向ける彼女の表情も穏やかだ。

「私の代わりに、空が泣いてくれている気がするの」

気のせいだけどと繰り返す彼女に、気のせいなんかじゃないよと心の中で答えた。
彼女は知らない。彼女の優しさに救われているモノがたくさんいることを。どれだけ周りに愛され、心配されているのかを。
彼らの姿を見ることができない彼女は、きっとこれからも気づくことはない。
思わず、口元が緩んだ。

「笑わないでよ。自分でも都合が良過ぎるなって思ってるんだから」

笑われていると勘違いした彼女が、頬を赤くしながら拗ねたように呟いた。
ざわりと窓の外で、風が渦を巻いた。彼女に過保護ないくつもの冷たい視線を浴びて、浮かべた笑みに苦さが混じる。

「案外、本当なのかもしれないよ」
「別に話を合わせてくれなくてもいいんだけど」
「そんなつもりはないんだけどなぁ」

呟いて、レモンティーを飲む。
角砂糖二つ分の甘さ。それはどこか彼女の優しさに似ている気がした。

「空が泣いていると会いたくなるから。会いたくて、じっとしていられなくなる……だから、これからも雨が降ったら会いにくるよ」
「そっか……ありがとう」

柔らかな微笑み。一瞬だけ泣きそうに見えたのは、それこそ気のせいなのかもしれない。
お互い何も言わず、部屋を静寂が満たしていく。
嫌な感じはしない。レモンティーの香りと混じり合って、気持ちを穏やかにさせてくれる。

飲み終わったカップを手にしたまま、窓の外を見た。
雲が薄れ、晴れ間が覗いている。雲を透かした陽の光は、とても綺麗だった。

彼女の今日の心模様は、雨のち晴れ。
できればずっと晴れでいてほしい。皆、そう思っている。

4/24/2026, 5:24:16 PM