死んだ人は風になる。空の果てへも、海の上へも、深い森の中へも、どこにだって自由に行けるようになる。それを与太話だと、まさかそんなことあるわけないって鼻で笑ったこともあったっけ。
しかしいま、私はそよ風だった。
春のそよ風は魂を運ぶゆるやかなくだり坂である。
「どうかな、私の背中は」
私の腹の下ではいろんな頭がうごめいていた。私の背に乗るあの子と同じ名前を樹を見て、酒を飲み、笑っている。たまにそういう騒ぎの横を通っていく。あの子と仲の良い誰かがいれば少しは楽しいかと、親切心からだった。
あの子は何も言わない。魂ってそういうものらしい。
「それじゃあ、そろそろ下に行こうか」
私もすでにいろんなことが曖昧だった。人間だった頃はなにひとつ思い出せない。
このあいだ、もしくは先日、いや、昨日? 一時間前? なんとなく、昔は風になることを馬鹿にしていたなァと、考えた事実を覚えていた。それだけで前述のとおり、斜に構えた人間だったと自覚している。
ではどうして寡黙な魂の名前を知っているのだろうね。私の産んだ子供だったかもしれない。それとも気の置けない友人だったかしら。
「なんにせよ、ちゃあんと運んであげるとも」
魂は震えたように感じた。私の腹の中で笑っているようにも思えた。
ひとしきり動き回って満足したので春の風は魂を天まで運んでやった。
地下深く、土の合間、つぶての脇、そういうものの奥に天がある。風はくだってくだって、底の奥。
もし君が生まれ変わって私の子、風の子供になったならもう一度一緒に飛び回れるかしら。
背中に乗ることがそんなに好きなのか、魂はまた暖かく震えていた。
4/30/2023, 9:39:50 AM