木陰

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‪死にたかった。
生きている価値なんて無いと思った。
だから、海の底に堕ちた。


物心ついた時から、幸せというものがわからなかった。何もしてないのに同級生からは泥だんごを投げられ、家に帰れば「こんな汚い子はいらない」と夜中まで家に入れてもらえなかった。先生は道徳の授業で「親には感謝しましょう」と声高に話すが、感謝って、何を感謝すればいいの?少しでも夜更かしをすれば早く寝ろとベッドまで髪を引っ張られたことを?それとも成績が悪いという理由で殴られ蹴られたことを?私にはわからなかったし、次第に幸せなんて自分には無縁なものなんだと思うようになっていった。

そんな風に私を道具の如く扱ってきた両親は、ある日突然事故で亡くなった。私は一時期施設に預けられ、そこでも変わらず孤独な日々を過ごした。そして数週間前、私は知らない男性の養女となった。その人はなんでも、なんちゃら医師会?とかに所属している立派なお医者さんだそうで、身なりも家も綺麗だった。優しくて、賢くて、職業のわりにオカルトやスピリチュアルが好きで。この間も有名な神社に行ってきたとかで、私に安全のお守りをくれた。曰く、このお守りを持っていれば、絶体絶命の時に神様が助けてくれるんだとか。

何もかも新しくなった生活は快適だった。作ってくれるご飯も掛けてくれる言葉も暖かい。暴力を振るわれる心配もない。
それでも。信じられなかった。どうせこの新しい父だって、前の父と同じだって。今は優しいけど、いつか化けの皮が剥がれて本性をむき出す。どうせ私なんて都合のいいアクセサリーなんだろ?あなたは独身だから、きっと妻子がいないのがコンプレックスだったんだ。私なんてきっとその埋め合わせだ。


そんな根も葉もない考えが頭を支配して。
耐えられなかった。
でも、そっか。最初からこうすればよかったんだ。
海面で身を強く打つと共に、私は意識を失う。
これでもう思い悩むこともない。愛も憂いも忘れて、ただただ静かな場所へ。
さよなら、世界。


電子音が聞こえる。
おもむろに目を開けば、視界に広がるのは真っ白な天井。
ここは、病院か?どうやら私は助かってしまったみたいだ。
横で眠っていたらしい父がハッと目を覚まし、私の名前を呼ぶ。お父さん、と小さく呟くと、父の顔は崩れるように安堵の表情へと変わり、良かった、生きてて良かったと涙目になりながらひたすら繰り返す。その姿に偽りは見られない。
本当に、私が生きてたから、喜んでいるの?父への不信が揺らぐ。
ふと、太腿に違和感を覚え、ポケットを探ると、ポケットの中には父からもらった安全のお守りが入っていた。このお守り、持っててくれたんだ。神様が助けてくれたのかな?と父が言う。私はこう返した。もしもお守りなんてものに効力があるのなら、わたしを助けてくれたのは神様とお父さんだ。お父さんがお守りをくれたから私は今生きているんだ、と。


人を信じるのはとても難しい。
それでも、あなたなら。大切な家族と呼べるかな。

海の底に、一寸の光が差し込み、こちらへ差し出す手が見える。私は震えながらも、その手を握る____

1/20/2024, 11:30:25 AM