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七、現実逃避
「終わらん」
辺りを見渡せば書類の山。山。山。
「ここが地獄か」
刻々と時間ばかりが過ぎてゆくなか、捌き切れないほどの膨大な仕事量に、アルバートは気が遠くなるのを感じていた。
そんな折、二度のノックが部屋に響く。姿を現したメイドの両腕には、なんと新たな書類が山が。
「追加の書類が届きました。全てにサインをするよう宰相様から仰せつかっています」
「あのタヌキ爺め……」
ここ連日、近々行われる国を挙げての収穫祭に向け、アルバートは朝から晩まで仕事に追われていた。その原因とも言えるのが総指揮官を務めるこの国の宰相であり、彼は文字通り次から次へと遠慮なしにアルバートへ仕事を割り振る。サインのし過ぎでアルバートがゲシュタルト崩壊を起こすのも時間の問題だった。
アルバートは目を閉じて浅く息を吐く。己を律するのに必要な行為だった。
「ミア」
「はい」
「あれを用意してくれ」
主人の雑な指示にミアは目を瞬かせるも、すぐさま小さく頷いた。


仄かに漂う甘い香り。
執務机から抜け出してローテーブルへと移動したアルバートは、ソファに深く腰をかけると早速ミアが用意したひと口サイズのチョコレートを手に取った。
「巷で最近人気の菓子らしい」
淹れた紅茶を主人の前に置いたミアは「それはとても美味しそうですね」と言葉を返す。
「俺は甘いものはさほど得意じゃないけどな」
「ご主人様が食べたくて取り寄せたのではなかったのですか?」
ミアは首を傾げる。
「いや。お前に食べさせようと思って」
そう言うや否やアルバートは自分の隣を指差した。
「ミア、ここ座れ」
「え?」
「早く」
言われるがままミアがアルバートの隣に腰を下ろすと、次いで口元にチョコレートが差し出される。
「口開けろ」
「でも」
「命令」
なんとも横暴である。ミアは困惑した。
けれどもその二文字を使われてしまえばミアは従う他に道がない。おずおずと小鳥のように小さく口を開くと、すぐにチョコレートが放り込まれた。
口の中で滑らかに踊るチョコレートの蕩けるようなその味わいに、ミアは感嘆の声を漏らす。そんな彼女の様子を横から見ていたアルバートはどこか愉しげだ。
「美味いか?」
アルバートの問いにミアはコクコクと頷いた。
「おいひいれす」
「よし。それならもっと食え」
そうして新しいチョコレートがミアの口元に再び差し出される。
「あの……自分で食べられます」
「却下だ」
清々しいほどの笑顔。取り付く島もなかった。
アルバートの手から次々与えられるチョコレートたちをミアは口の中に含んでゆく。そんな二人の姿はさながら親鳥と雛のようだ。
「癖になるな、これ」
アルバートがぽつりと零す。
「……もういっそのこと仕事なんか放り投げてもっと旨いものでも食いに行くか」
「だめですっ」
「このチョコレートよりもっと旨いものを食わせてやると言っても?」
「だ……だめですっ」
なんとも魅力的な誘いに葛藤するも、それを押しのけ慌てて抗議する己のメイドを前に、アルバートはやっぱり愉しげに笑うだけだった。









2/28/2024, 9:57:53 AM